田母神「論文」の嘘に当時の視点で反論しておく

田母神俊雄・前航空幕僚長については第2の火の玉オヤジかよって感じで、田母神「論文」への反論も含め、めんどいのでスルーしようかと思ったんだけど、TVに出たり、DQN雑誌「WiLL」に寄稿したり、外国特派員協会(通称、外国人記者クラブ)で会見を開いたり(こちら)と、次から次に電波飛ばしまくりで、こちらは頭が痛くなる一方……。てなわけで、馬鹿らしいと思いながらも何も反論しないのもストレスが溜まってしまうので少しでも書いておくよ。

今回はこの部分、

「日本は侵略国家であったのか」田母神俊雄 4ページ目
(PDF)http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

これについては歴史学者山田朗氏(専攻は日本近代史)が、11月22日付けの赤旗紙面で以下のように反論しています。

歴史ゆがめる田母神前空幕長「論文」(上)- 赤旗11/22
http://img.f.hatena.ne.jp/images/fotolife/d/dj19/20090309/20090309131233.jpg

「論文」が賛美する「五族協和」の実態も、日本の軍人や官僚を頂点とするピラミッドのなかで、各民族が自分の身分や立場に応じて奉仕しろというもので、決して「みんな平等」の社会などではありませんでした。つまり、差別を固定した上で“仲良くやろう”という、日本支配を正当化する論理です。基本的には、朝鮮や「満州」は日本の「生命線」として、平たん基地にされ、資源と労働力を収奪されたのです。

反日サヨク学者の言うことなんか信用できない!

という人のために、半年ほど前に買った本『日本陸軍と中国 「支那通」にみる夢と蹉跌』の中から佐々木到一(ささき とういち)という「支那通」軍人(最終階級は陸軍中将)のことを紹介しておくよ。

4062581736日本陸軍と中国―「支那通」にみる夢と蹉跌 (講談社選書メチエ)
戸部 良一

講談社 1999-12
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佐々木到一のことをよく知らない人のために書いておくと佐々木到一は1931(昭和7)年12月に関東軍司令部付となり満州国軍政部顧問を命じられます。当時の最高顧問は支那通の先輩、多田駿でした。最高顧問は後に板垣征四郎に交代し1934年12月には佐々木が板垣の後任で満州国軍政部最高顧問に就任します。(詳しくはこちらを参照:wikipedia:佐々木到一


満州で3年ほど経過した頃、佐々木到一は満州の現状を次のように述べています。

満州統治ノ深憂(続々篇)』
民族協和が満州国の原理であるとすれば、建国に参加する各民族が国家の構成分子であることを自覚しなければならないのに、大多数の日本人はこの自覚が足りない。日本人は日満間の条約によって保障された恵まれた立場と、先進国・指導国としての優越感をもって臨んでいる。要するに、満州国を植民地視する誤った観念から脱却していないのである。それは日系官吏だけに限らない。日本人全部がそうである。満州国人に対する優越感、干渉癖、横車、理由のない凌辱、根拠のない嫌疑などに、それが現れている。
日本陸軍と中国 「支那通」にみる夢と蹉跌 戸部良一』166頁より

満州を去る数ヶ月前には次のように述べています。

『対満州国政治指導に関する所感』
満州国は)建国以来5年を経て、国内の利権の大部分が日本人に掌握され、表面上は独立国家でありながら、満州国は急速に植民地化しつつある。この現状に目を向けずに独立国家という建て前を言っても、それは自己欺瞞にほかならない。民族協和も所詮、民族闘争をたくみに緩和する以外の何ものでもない。こんな重大問題を軽々しく放言すべきではないが、満州国は独立国になり得ないし、日本人も満州国人にはなり切れないのが現実である。
日本陸軍と中国 「支那通」にみる夢と蹉跌 戸部良一』174頁より

これ別に、日本人に罪の意識を植えつけるため戦後うるさいサヨクが捏造した歴史でも、GHQWGIPを徹底的に行ない日本人をマインドコントロールしたわけでもありません。

中国の現状をもっともよく知っていた「支那通」軍人。その「支那通」の中でも代表的な佐々木到一が当時、言ってることですよ。


さらにこの田母神論文の「五族協和」の部分については、以下のサイトでガッツリ批判されています。少し長いですが紹介させてもらいます。


田母神論文を批判する
http://members.at.infoseek.co.jp/tou46/re_90_01.html

田母神論文中には、「一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた」とある。

 これもまた、日本の統治の実態について学んだことがない、ただ建前部分しか認識していない、誤った主張である。現実の日本統治は、日本人だけが支配者として他民族を搾取するものだった。まあ、これも色々やっかいな話で、そう一言で言い切れるものでもないのだが、少なくとも満洲国に関しては。とりあえず一例だけ述べておくが、溥傑の后である愛新覚羅浩は、『流転の王妃の昭和史』(新潮文庫)という本を著している。これは文庫本になっているので、入手も容易だと思う。
 そして愛新覚羅浩は、満洲人が日本人に差別されていたことを、はっきり述べている。日本人、特に関東軍関係者のみが贅沢を味わい、一般の中国人は貧困に追いやられていたことを。そして、自身は日本人なのに、満洲人と結婚したと言うことで、満洲人並に見下され、差別して扱われたと言うことを。また、夫は皇帝の弟なのに、なんらそれに相応しい敬意は払ってもらえず、平民として扱われていたと言うことを。また、当時の満洲では日本に対する反感が充満しており、溥傑ですらそれに反対するものではなかったことを。

 そしてこれは、なにしろ当事者が、自らの目で見聞した、あるいは自らの体で体験した事柄である。日本の掲げた「五族協和・王道楽土」が大嘘であることの、なによりの証言ではなかろうか?

 ただし、満洲国がそうなってしまったのには、事情があることはある。つまりは、戦争である。満洲事変以降の事態の進展を一言で述べるのは無理だが、要するに、短期間の小康状態をのぞけば、日本は戦争ばかりしていたわけだ。そしてそれは、日中戦争・太平洋戦争(明示的に日中戦争と区別するための呼称)と、日本の国運を賭した大戦争へと発展していく。そのような戦時中においては、日本本土ですら、国民の生活は困窮していったわけである。「贅沢は敵だ」とか「欲しがりません勝つまでは」と言ったスローガンの元、すべてを戦争遂行につぎ込んでいったために。上記に記した『流転の王妃の昭和史』(新潮文庫)の例は、そのような状況の中に、生じた。

 すなわち、日本本土以上に、戦争遂行に対する協力が強制されたのである。だから、住民の生活は困窮していったのである。……ただし、それでも日本人、特に関東軍は、良い暮らしをしていた訳なのだが。また、経済的な事情がどうあろうと、それとは別に、現地の中国人たちは日本人から見下され、差別されていたのだが。

 そして田母神氏などは、日本は満洲を工業国として発展させたと主張している。それ自体は全くその通りなのだが、しかしそれが現地住民の生活向上には全然反映されなかったということ、これも事実なのである。すべては戦争遂行のために、持ち去られてしまったのだ。

紹介させてもらった上のサイトではかなりの長文で反論してくれていますので、田母神「論文」のどこが間違っているのかよくわからない方はぜひ全文読んでみてください。ちなみにわたくし『流転の王妃の昭和史』を読んだことないんでアマゾンでさっそく注文してみました。読み終わったらこのblogに感想を書いてみようと思います。(←いつになるかはわかりませんが(^^;

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満蒙開拓団はこうして送られた〜眠っていた関東軍将校の資料〜1/5

■討匪行

上の『満蒙開拓団はこうして送られた』を見てもらえばわかることだけど満州への移民の例1つ取ってみても土地買収のやり方は関東軍を中心に強権的に土地を収奪しています。このような強引やり方は満州人(ほとんどが漢民族)と「仲良く暮らす」平等な社会とはほど遠いもので抗日運動を拡大させました。そのため匪賊(抗日ゲリラ)を討伐する日本軍兵士は当時の軍歌『討匪行』の歌詞の通り「どこまで続くぬかるみぞ」だったわけです。


【追記】ブクマコメントに答えるよ。

setoFuumi +watch 五族協和。やろうとしたけどできなかったってことだよね。「できた」というのも嘘なら「やろうとしなかった」というのも嘘じゃね?理想と現実の違いを嘆く佐々木到一が居たってことでしょ? 2008/12/03

id:setoFuumiさん、「やろうとしなかった」なんて誰も言ってないって。それと、なんか「五族協和」の意味を間違えてない? 「五族協和」とは、あくまでも日本を盟主としたものであって、引用してある山田朗教授が言ってるように「日本の軍人や官僚を頂点とするピラミッド」社会なわけ。田母神論文に書いてあるような「人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。」なんて持ち上げることのできるものではないんですよ。

たしかに佐々木到一は「五族協和」が謳われた当初、そこに「新しい世界観」を感じとり「幻想」をみていた。だからこそ日本人の誤った優越感を批判してるんだけど、その佐々木到一が指導的地位を有する少数の日本民族と絶対的多数の漢民族が将来、完全な平等になると考えていたかといえば、それは否だった。というのは、日本が国防資源と国民経済の必要上、ある程度まで満州国の利益を犠牲にせざるを得ないからである、と彼は言う。

満州を去る数ヶ月前に佐々木到一が「民族協和も所詮、民族闘争をたくみに緩和する以外の何ものでもない。」と言っているのも満州にいる間、抗日運動の厳しさを体験し、中国(満州)人のナショナリズムの高まりへのアンチテーゼであった「五族協和」という理想の実現を、現実的に困難だと確認してしまったからなんだ。