浜田知明の山西省での従軍体験(3)

副題:浜田知明が銅版に刻んだ戦時性暴力


浜田知明の山西省での従軍体験(1) - Transnational History
浜田知明の山西省での従軍体験(2) - dj19の日記:
 副題:浜田知明が銅版に刻んだ三光作戦
の続きです。


今日も、初年兵として中国の山西省へ従軍した経験(1940年〜1943年)を持つ浜田知明の作品を通して、銅版に刻まれた戦時性暴力について考えてみたい。


ヒロ画廊/浜田知明/作品
http://www.hirogallery.com/hamada-works-et-jp.html


初年兵哀歌 ぐにゃぐにゃとした太陽がのぼる-1952


これまで戦争や紛争が起こるたびに女性はレイプ、性犯罪といった性暴力被害に遭ってきた。第二次世界大戦後だけでもベトナムボスニア・ヘルツェゴビナコンゴウガンダダルフールイラクなど、たくさんの戦場で女性は強姦され、そして殺されてきた。しかもかなり残酷なやり方で。
今から65年以上、前に中国でも日本軍によってたくさんの女性が性暴力の被害に遭い、そして殺された。


神奈川県立近代美術館浜田知明の世界展』図録より


忘れえぬ顔A-2008


浜田の2008年の作品には、鉛筆とボールペンで描いたデッサン「忘れえぬ顔」というものがある。70年近くの月日がたっていても忘れられないという。

中国の黄土地帯で見た光景を、日本兵の行軍とコラージュ風に表した。「日本軍に見つかれば、特に女性はひどいことをされる。我々を見つけた時の少女の顔がどうしても忘れられなかった」と話す。


2010/7/28 人間の本性見据え 92歳 版画家・彫刻家 浜田知明展(1/2ページ):asahi.com
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201007280393.html魚拓


笠原十九司南京事件三光作戦』には、華北で掃討作戦に参加した経験を持つ元兵士の実感として、「適性地区というのは、日本軍が進駐すると、若い者はみんな逃げて、ほとんどもぬけの殻であるが、ときには老婦人や子どもが残っている地区である」(p202)という記述があるのだが、矛盾なく符合する話である。


ヒロ画廊/浜田知明/作品
http://www.hirogallery.com/hamada-works-et-jp.html


風景-1952


南京事件三光作戦』には、浜田知明とほぼ同じ時期に華北へ出征した元兵士の証言が載っているが、そこにも、日本軍の討伐隊が「報復として」部落に入った後にその部落に入っていくと、女性の局部に竹や棒が突き刺された全裸の死体がいくつも放置されていた事例(p197)。隠れている女性を大勢の兵士がいる前に引きずり出して、裸にし、性器を傷つけ殺害した事例(p186)などが紹介されている。

砲兵部隊だった浜田知明も、先に突入した歩兵部隊の後から部落に入ったとき、もしくは道端などに放置されたままの、こうした死体を目撃したのではないだろうか。

前書には、兵士を性犯罪に駆り立てた動機や心理が、いくつもの事例をあげながら分析されているのだが、兵士の中では、強姦が処罰されず黙認される抗日根拠地などの適性地区と、日本軍が駐屯し強姦が処罰、厳禁されている治安地区とが、はっきりと区別され、やってはいけない場所や社会では「理性的」に強姦行為を抑制できていた(p190)という。

さらに、ある元兵士の証言として、日本兵には、中国人女性だから強姦してもかまわないという民族差別の意識があったとし、関連する話として、あるとき慰安所に行くと日本人女性がいたので驚きショックのあまり詰問したことが紹介されている(p191)。

この事例などは、日本人だと、その悲惨な状況を理解できても、日本人以外となると自分と関係の無い出来事として無関心でいられるといった、現在にも続く問題が含まれていると思う。

と、これまでいくつかの事例や歴史研究を基盤にした分析の一部を紹介してきた(詳細は前書に譲る)わけだけれど、いまでも一般に根強くあるような「性暴力は理性のきかなくなった興奮状態にある一部の兵士の過剰な性的欲望の現れ」といった男の性欲に大きな原因を求めるような理解のままだと、いろいろと疑問が出てくるかと思う。例えば、なぜあそこまで残虐に殺害するのだろうか?といった疑問が。
ぼくは、性欲も原因のひとつである事自体を否定するつもりはないが、長谷川博子が、『ナショナル・ヒストリーをこえて』「儀礼としての性暴力 戦争期のレイプの意味について」のなかでおこなっている分析の方に、より本質的な問題があるのではないかと考えるので引用して紹介する。


長谷川博子『ナショナル・ヒストリーをこえて』「儀礼としての性暴力 戦争期のレイプの意味について」

「戦争期の集団的なレイプにおいては、犠牲者の身体とりわけ性器が激しく傷つけられ、それによって死に至らしめられることも珍しくない。」

「戦争期のレイプの特徴の1つは「集団で」あるいは「面前で」行われることである。これは状況からたまたまそうなったということではなく、それ自体が重要な攻撃の秩序を形成している。なぜならそれは「公開で」行われることによって攻撃力をいっそう増すからである。」

「レイプの実行者たちが「敵」の男たちに精神的・身体的ダメージを与えることで、彼らの優位性と支配を「敵」の瞳に焼付け、刻印する儀礼でもある。」

「集団による面前でのレイプは、たんに戦争の付随的現象として片付けるわけにはいかない。それは、それ自体が「形を変えた戦闘」なのであり非戦闘員に向けられた「攻撃と支配の手段」なのである。」


長谷川博子は、さらに、「戦場で強姦に関与したのはごく普通の兵士たちだったのであり、戦場での性暴力の可能性は「平時」を生きるわたしたち自身の内部に潜在しているのである。」と、「平時」の社会との連続性において理解されるべき問題であると書いている。

こうした指摘などは、「戦争だから残虐なことは起こるもの」「戦争だから仕方がない」と自分の外部の出来事として自分自身から遠ざけて、どうすれば防ぐことが出来るのかといったことを考えるのをやめてしまったり、無関心でいることで暴力は放任され、結局、国や組織の責任は免罪され正当化される方向へ回収されてしまうといった問題にも繋がってくるのではないかと思う。もちろんこれらは、ぼく自身が向き合っていかなければならない現在の課題でもある。


■参考文献
神奈川県立近代美術館浜田知明の世界展』図録 2010年
小森陽一 / 高橋哲哉 (編) 『ナショナル・ヒストリーを超えて』東京大学出版会 1998年
笠原十九司南京事件三光作戦 - 未来に生かす戦争の記憶』大月書店 1999年

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