無理に一等国の仲間入りをしようとする日本…夏目漱石 1909年

夏目漱石は(明治42)1909年6月27日〜10月14日に東京朝日新聞に連載した小説「それから」の中で、登場人物・代助の口を借り日露戦争(1904年2月〜1905年9月)後、当時の日本の富国強兵の姿を「牛と競争するカエル」にたとえ批評している。
日露戦争で日本は欧米列強と肩を並べるために軍事予算を膨張させ、開戦後1年3ヶ月余の間で投入された戦費は20億円近く、それは戦前の国家予算の8倍にもあたる巨額で、増税、新税の創設をはじめ5回にわたる国債、4回の外債によって補っていたのであった…。

(以下は読みにくいと思われるのもには断りなしにルビを付け、旧仮名は新仮名に直してあります。)


無理に一等国の仲間入りをしようとする日本 

日本程借金を拵(こしら)えて、貧乏震いをしている国はありゃしない。此(この)借金が君、何時になったら返せると思うか。そりゃ外債位は返せるだろう。けれども、それ許(ばか)りが借金ぢゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。だから,あらゆる方向に向かって奥行(おくゆき)を削って、一等国丈(だけ)の間口を張(は)っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。其(その)影響はみんな我々個人の上に反射しているから見給(みたま)へ。斯う西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌(ろく)な仕事は出来ない。悉(ことごと)く切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使はれるから、揃って神経衰弱になっちまう。話をして見給(みたま)へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない。考えられない程疲労しているんだから仕方がない。精神の困憊(こんぱい)と、身体の衰弱とは不幸にして伴っている。のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。日本国中何所(どこ)を見渡したって、輝いてる断面は一寸四方も無いじゃないか。悉く暗黒だ。

夏目漱石「それから」『漱石全集』第六巻 岩波書店 1994年、101〜102頁)


漱石の近代日本社会の姿に対する厳しい目は、これ以外にも「現代日本の開花」と題する講演にもみることができる。日本の開化(近代化)を外発的で皮相上滑りなものとし、発展の姿を「開化のあらゆる階段を順々に踏んで通る余裕をもたないから、できるだけ大きな針でぼつぼつ縫って過ぎるのである」として、その結果、日本社会が「神経衰弱に罹って、気息奄々(きそくえんえん)として今や路傍に呻吟しつつある」と観察している。

(日本史史料〈4〉近代 歴史学研究会編 岩波書店 276〜277頁)

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