「従軍慰安婦」がさらにひどくなってる

はてなキーワード「従軍慰安婦」 - 駄文 キーワード「従軍慰安婦」 - 駄文』というエントリをid:s_kotakeさんがあげられています。キーワード従軍慰安婦』の一部を編集したところ、即日、「大体元に戻って」いたんだそうです。(ちなみに秦郁彦は肯定派じゃないでしょと。)

まぁある人が書き換えているわけですが、どのような願望を持って書き換えているのか、編集前と(最初の)編集後の比較をとりあえずメモしておきます。


上が2011年12月15日までの記述。

下が2011年12月16日から22日にかけて書き換えられた記述。(現在のものとは若干違いがあります。)
です。

日中戦争や太平洋戦争中、朝鮮や中国、南洋、日本などから動員され、兵士相手に慰安所買売春施設)で暴力的に性の相手をさせられた女性たち。1991年韓国の元慰安婦から補償と謝罪要求が提起され一般に広く知れ渡った。従軍慰安婦という名前は1973年に作家の千田夏光氏が書き有名になった本からきており、現在は多くは「慰安婦」と括弧づけで呼ばれている。韓国では「挺身隊」と呼ばれる。

1993年政府は強制的に朝鮮などから女性を慰安婦にしたことを認め謝罪し、民間基金を通じた一定の補償を行った。しかし補償が十分なのか、日本の軍隊による直接的な強制連行がどの程度あったのか、慰安婦を今どう呼ぶべきかなどについて論争がある。

日中戦争や太平洋戦争中、朝鮮や中国、南洋、日本などから動員され、兵士相手に慰安所買売春施設)で暴力的に性の相手をさせられたとされる女性たち。1991年韓国の元慰安婦から補償と謝罪要求が提起され一般に広く知れ渡った。従軍慰安婦という名前は1973年に作家の千田夏光氏が書き有名になった本からきており、現在は多くは「慰安婦」と括弧づけで呼ばれている。韓国では「挺身隊」と呼ばれる。2000年以降は民主党が「戦時性的強制被害者」という名称を使用している。

1993年政府は強制的に朝鮮などから女性を慰安婦にしたことを認め謝罪し、日韓基本条約以外での民間基金を通じた一定の補償を行った。しかし補償が十分なのか、日本の軍隊による直接的な強制連行が本当にあったのか、もしあったのならどの程度なのか、慰安婦を今どう呼ぶべきかなどについて論争がある。

尚、2009年に当時の首相麻生太郎と韓国李明博大統領の間で、強制徴用と慰安婦問題について謝罪要求放棄の誓約が行われているが、何故か韓国裁判所の違憲判断[注1]を理由に再度謝罪、賠償要求を行っている。

1. 強制はあったのか、どうやって集めたのか?

1993年に発表された日本政府の調査結果では、参謀本部陸軍省といった軍中央や日本政府による「組織的な強制連行」を命令するような公文書は発見されませんでした[注1]。しかしその後、吉見義明(日本近現代史専攻)などの研究者によって、当時の日本軍占領下において、現地軍や各部隊単位で無理矢理に連れ去るような「強制連行」をいくつも行っていたケースが報告されています[注2]。
当時の史料を調査した吉見義明の研究報告によれば、いちばん多いのは就業詐欺のケースであり、いい仕事があると騙して中国や南方に連れて行ったり、嫌がるのを無理にやらせたり、休みの日に慰安所から出る時には(逃亡防止と防諜の必要性から)監視をつけるなどの使役の仕方は、強制使役や強制にあたるとしています。これは当時の刑法に照らしても略取・誘拐にとわれうる犯罪だと指摘されています。
なお、河野談話を出した河野洋平も同様な事を後のインタビューで答えています[注3]。
慰安婦をテーマにした博士論文には「日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦」[注4](一橋大学社会学)がありますが、これによると十分な証言の得られた43人の朝鮮人慰安婦の中で暴力的な強制連行と答えているのは8人、自発的な慰安婦就業である身売りは1人、圧倒的多数34人は就業詐欺です。

1993年に発表された日本政府の調査結果では、参謀本部陸軍省といった軍中央や日本政府による「組織的な強制連行」を命令するような公文書は発見されませんでした[注1]。しかしその後、吉見義明(日本近現代史専攻)などの研究者によって、当時の日本軍占領下において、現地軍や各部隊単位で無理矢理に連れ去るような「強制連行」をいくつも行っていたという報道がなされています[注2]。ただし、吉見自身は討論番組「朝まで生テレビ」において、強制連行を裏付ける物理的な証拠が旧植民地にて発見されてないことを認め、また外務省が非公開としている資料から発見される可能性があることも同時に述べており、混迷を極めているのが現状です。
当時の史料を調査した吉見義明の研究報告によれば、いちばん多いのは就業詐欺のケースであり、いい仕事があると騙して中国や南方に連れて行ったり、嫌がるのを無理にやらせたり、休みの日に慰安所から出る時には(逃亡防止と防諜の必要性から)監視をつけるなどの使役の仕方は、強制使役や強制にあたるとしています。
ただし吉見が1992年に研究・発表した資料(「陸支密大日記」に閉じ込まれていた「軍慰安所従業婦等募集に関する件」[注3])を前提とした研究報告であったため、「内地にて民間業者が誘拐まがいの方法で慰安婦を募集することの疑いで官警の取調べを受けたり、みだりに軍の名を使って慰安婦募集をする民間業者がいるので、そういうことのないよう軍と地元官警でしっかり管理するように」という捉え方もあり、この資料が示す「関与」とは、全く意味合いが違うものであったとする批判も出ています。
なお、河野談話を出した河野洋平も同様な事を後のインタビューで答えています[注4]が、当時官房副長官であった石原信雄がのちに語ったところによると、当時の日本政府の調査では、軍など日本側当局が慰安婦を強制連行したという資料は確認されなかったということです[注5]。
慰安婦をテーマにした博士論文には「日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦」[注6](一橋大学社会学)がありますが、これによると十分な証言の得られた43人の朝鮮人慰安婦の中で暴力的な強制連行と答えているのは8人、自発的な慰安婦就業である身売りは1人、圧倒的多数34人は就業詐欺です。
ただし他にも「大東亜戦争戦争の総括」[注7](歴史・検討委員会(委員長:山中貞則))では「『従軍慰安婦』は事実ではない」と主張していたり、「私が見た『従軍慰安婦』の正体」[注8](小野田寛郎)では「『従軍慰安婦』なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。」とされていたり諸説紛々あるようです。

2. 軍や国は関わったのか?

吉見義明が最初に証拠としてあげた「軍慰安所従業婦等募集に関する件」という書類が、軍が朝鮮では強制連行を黙認しているとも、日本で業者の取り締まりをしているとも両方に解釈できる事で、未だに軍の関与を否定する声があります。しかしいわゆる自由主義史観の論者(例えば秦郁彦)でもこの点を否定する人はいません。吉見義明教授は軍が命令を出して慰安所を設置させた例を8つの資料から発見していますし、日本政府も多くの資料から直接・間接の関与を認めています。国・軍が深く関与したのはほぼ間違いないでしょう。
参考としてネット上では軍の主計将校のマニュアルの中に「慰安所の設置」があった事を読むことができます。[注1]

吉見義明が最初に証拠としてあげた「軍慰安所従業婦等募集に関する件」という書類が、軍が朝鮮では強制連行を黙認しているとも、日本で業者の取り締まりをしているとも両方に解釈できる事で、未だに軍の関与を否定する声があります。吉見義明教授は軍が命令を出して慰安所を設置させた例を8つの資料から発見していますし、日本政府も多くの資料から直接・間接の関与を認めていますが、日本政府自身が「政治的判断で慰安婦問題を認めた」とする発表も多く出ており[注1][注2][注3]吉見の資料自体も強制連行事実への具体性を欠く事から、成否両論いまだ水かけ論の域を出ていません。
参考としてネット上では軍の主計将校のマニュアルの中に「慰安所の設置」があった事を読むことができます。[注4]

  • [注1] 「政府の発見した資料の中には強制連行を直接示す記述は見当たらなかったが、総合的な調査の結果についての総合判断により、一定の強制性を認めた」(平林博外政審議室長発言 第140回国会 参議院 予算委員会 第8号 平成9年 1997年 3月12日)
  • [注2] 「募集の文書や担当者の証言を初め、日本側のデータには強制連行を裏付けるものはなかったことや、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるように強硬に要請していた韓国政府に対し、「強制性を認めれば、問題は収まる」という判断で、元慰安婦らの証言だけで強制性を認めたという「河野談話」発表に至る経緯を明かす」(石原信雄『産経新聞』1997年3月9日)
  • [注3] 「女性を強制的に徴用しろといいますか、本人の意思のいかんにかかわらず連れてこい、というような命令書があったかといえば、そんなものは存在しなかった。調べた限りは存在しなかったということは申しあげていいと思うんです。『資料がなかった』ということは事実としてはっきりさせておかなければいけない」(河野洋平官房長官『WILL』2007年5月号)
  • [注4] 永井和教授論文の追記部分http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/guniansyo.html#SEC10

3. 証拠はあるのか?

  1. 強制連行の証拠は発見されていません。しかしはっきりと軍人に強制連行されたと証言している朝鮮人慰安婦は数人いますし、中国やインドネシア、フィリピンなどで慰安婦になったかなりの数の人もそう証言しています。
  2. 軍や政府の関与を示す証拠資料は、政府の調査した生資料とその結果をネット上で読めます[注1]また永井和教授はこの資料の正しい読み方と警察の関わり方をネット上で論文で公開[注2]しています。
  3. 個別の事件としては、インドネシア青年将校が司令部の命令を無視して民間人抑留所からオランダ人女性を無理に35人連れだし、慰安所で2ヶ月間「慰安婦」にした事件(スマラン事件)が、戦後BC級裁判として裁かれ有罪になっています。

[注1] http://www.awf.or.jp/program/index.html
[注2] http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/2semi/nagai.html

強制連行の証拠は発見されていません。はっきりと軍人に強制連行されたと証言している朝鮮人慰安婦は数人いますし、中国やインドネシア、フィリピンなどで慰安婦になったかなりの数の人もそう証言していますが、また逆に当時フィリピン在住人の「強制連行は無かった」という証言[注1]もあり、こちらも水かけ論のままです。
軍や政府の関与を示す証拠資料は、政府の調査した生資料とその結果をネット上で読めます[注2]また永井和教授はこの資料の読み方と警察の関わり方をネット上で論文で公開[注3]しています。
軍が関与したとみられる資料は、他に「慰安婦朝鮮人業者の不当な搾取から保護した」[注4]「借金制に切り替えさせ、貯金も出来て内地に戻れるように指導した」[注5]等もあり、どちらが真実かははっきりしません。
個別の事件としては、インドネシア青年将校が司令部の命令を無視して民間人抑留所からオランダ人女性を無理に35人連れだし、慰安所で2ヶ月間「慰安婦」にした事件(スマラン事件)が、戦後BC級裁判として裁かれ有罪になっていますが、これも軍は事件後慰安所を閉鎖しており、元々自由意思で応募する者だけを慰安婦にする方針だったので、むしろ強制連行を行なっていなかった証拠であるとの反論も起きています[注6]。

4. 元慰安婦の証言は信用できるのか?

証言内容が変わったりして補償金ほしさに嘘をついているのではないか?という見方がありますが、実際には年齢(数え歳か満年齢か)や言い方(仕事だと騙された、動員だ、処女供出と思った、挺身隊だ)が変わる程度です。一橋大学慰安婦について博士論文を書いた尹明淑は、その本「日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦」[注1]の中で、現在証言の得られる43人の朝鮮人慰安婦の証言を募集形態、慰安所の様子、以前の生活などの点で一覧表にしており、査読のある論文の性質上こうした証言の信頼性は高いと言うべきでしょう。

証言内容が変わったりして補償金ほしさに嘘をついているのではないか?という見方がありますが、実際年代に大きな違いがあったり[注1]、証言の度に内容が変わっていたり[注2]と混乱の元になっています。これは強制連行の有無を論議する場においてもいまだ結論を出せていません。但し、日本国内の元慰安婦における損害賠償訴訟は、最高裁への慰安婦側の上告も棄却され、最終的に慰安婦側の敗訴が確定していますし、ワシントン連邦地方裁判所で起こした損害賠償訴訟もアメリカ合衆国最高裁判所は却下の最終判断を下しています。
一橋大学慰安婦について博士論文を書いた尹明淑は、その本「日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦」[注3]の中で、現在証言の得られる43人の朝鮮人慰安婦の証言を募集形態、慰安所の様子、以前の生活などの点で一覧表にしています。

5. 強制連行を告白した吉田清治は嘘をついた?

韓国の新聞に『解放44周年に日帝時代に済州島の女性を慰安婦として205人、徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている』この記事の元が吉田清治さんの証言です。しかし島民の証言が無く、この本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15〜16人を強制徴発したり、法環里の村で行われた慰安婦狩りの話を証言する人たちは殆どいなかったようです。
こうした事を秦郁彦から追及され吉田清治氏はその後沈黙を守っており嘘をついたと思われます。しかし今では吉田清治の証言がなくとも、就業詐欺という方法で強制的に慰安婦にされたという事が元慰安婦の証言などで明らかになり、今ではこの証言が嘘であっても強制的な慰安婦募集を研究者で疑う者はほとんどいません。

韓国の新聞に『解放44周年に日帝時代に済州島の女性を慰安婦として205人、徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている』この記事の元が吉田清治さんの証言です。しかし島民の証言が無く、この本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15〜16人を強制徴発したり、法環里の村で行われた慰安婦狩りの話を証言する人たちは殆どいなかったようです。
吉田自身、1996年に「自分の役目は終わった」として著書が自身の創作であったことを認めており[注1][注2]、日本の戦争責任資料センター事務局長の上杉聰は吉見義明(中央大学教授)とともに吉田と面談した結果、「吉田の証言を嘘と断定することはできないが、歴史証言としては採用できない」としています[注3]ので、資料的価値は全くないと言って過言ではないでしょう。事実吉田は秦郁彦との電話会見に応じ「人権屋に利用された私が悪かった」と反省の弁を告白しています[注4][注5]。

6. 河野談話は政治決着と聞いたけど?

1993年当時韓国政府との間で政治問題化し、韓国から強制性について明確にしないと問題は終わらないと明言されていました。この為政府は証拠がないにも関わらず思い切った決断をしたようで、そういう意味では政治的決着でしょう。ただ強制性を認めることが、金銭補償を要求しない事との取引条件だったという噂[注1]が当時からありましたが、当時金泳三大統領は最初から金銭補償は求めないとしており、河野長官や石原副長官など日本側関係者も金銭との取引を否定しています。[注2]

1993年当時韓国政府との間で政治問題化し、韓国から強制性について明確にしないと問題は終わらないと明言されていました。この為政府は証拠がないにも関わらず思い切った決断をしたようで、そういう意味では政治的決着でしょう。ただ強制性を認めることが、金銭補償を要求しない事との取引条件だったという噂[注1]が当時からありましたが、当時金泳三大統領は最初から金銭補償は求めないとしており、河野長官や石原副長官など日本側関係者も金銭との取引を否定しています[注2]。また、2009年1月10日に当時の日本総理麻生太郎と韓国李明博大統領の間で、強制徴用と慰安婦問題について謝罪要求放棄の誓約が行われており、政治的な決着はこれで完全に終了している筈ですが、2011年にはソウルの在韓日本大使館前に「平和の碑」と銘打った従軍慰安婦少女のブロンズ像を立てる[注3]、2011年日韓首脳会談で元従軍慰安婦の賠償請求権問題を提起する等まだまだ外交手段の一つとして使われているのが現状です。

7. 慰安婦は高給だったと聞いたけど?

毎日新聞は1992年5月22日、元慰安婦の文玉珠(68才)が「戦時中ビルマで預金した貯金を返せ!」と日本の郵便局に訴えた事を伝えています。原簿を調べると43年6月から45年9月まで12回の貯金の記録があり、貯金の金額は26145円だった。陸軍大将の年俸でさえ数千円で、これはかなりの高額です。
 実際当時の公娼が数千円の借金を数年で返す事ができたようなので、給料をちゃんと貰えばかなりの額になったのでしょう。しかし朝鮮人慰安婦の証言では、経営者は始めからお金の話はしないか、貯金しておくと言ったまま終戦時に何も渡さず行方をくらました場合がほとんどです。[注1]

  • [注1]尹明淑の博士論文によると元慰安婦43人の証言から実際に「労働」の対価としてお金を得たのは3人程です。

毎日新聞は1992年5月22日、元慰安婦の文玉珠(68才)が「戦時中ビルマで預金した貯金を返せ!」と日本の郵便局に訴えた事を伝えています。原簿を調べると43年6月から45年9月まで12回の貯金の記録があり、貯金の金額は26145円だった。陸軍大将の年俸でさえ数千円で、これはかなりの高額です。
 実際当時の公娼が数千円の借金を数年で返す事ができたようなので、給料をちゃんと貰えばかなりの額になったのでしょう。しかし朝鮮人慰安婦の証言では、経営者は始めからお金の話はしないか、貯金しておくと言ったまま終戦時に何も渡さず行方をくらました場合がほとんどだそうです[注1]。また、売上金はおおむね慰安婦と業者間で折半されたが、業者に負った前借金が多すぎたり、悪徳業者に出会った場合は、首尾よく金を稼ぐことができない場合もあったとしている証言もあります[注2]。

  • [注1] 尹明淑の博士論文によると元慰安婦43人の証言から実際に「労働」の対価としてお金を得たのは3人程です。
  • [注2] 「大韓民国の物語」(李榮薫著 永島広紀訳 文藝春秋 2009/02)

8. 慰安婦は本当はいい生活だった?

秦郁彦は1944年ビルマのミートキーナ陥落後の米軍の尋問調書[注1]から「慰安婦は、将軍より高収入で、借金を一年で返し帰国したものもいた、現在の物価に換算して1千万以上を家族に送金したり、休日に町へ買い物に行ったり、接客を断る権利も認められていた」としています[注2]。しかしこれにはいくつも疑問があります。[注3]

  1. 本来の訊問の目的は日本軍動向にあり、慰安婦の状況は米軍には直接関心のない周辺事にすぎない。あまり確かめずただ相手の言うことを書いている可能性が大きい。
  2. 実は慰安婦の待遇について報告書内でも矛盾した事を書いている、訊問した人は返事が正確かわかっていない
  3. 訊問は慰安婦20人と雇用主2人に行われており、実は誰が答えたか曖昧です。待遇のよさを答える部分は経営者に聞いた可能性が大きい
  4. 日系2世の米軍兵士がが日本語で訊問したはずです、しかし朝鮮人慰安婦は日本語は片言しかできないので話がちゃんと伝わっていない可能性が大きい
  5. こういう例はこれ一つ位しか見あたらない、結局こうした待遇のよい慰安婦はほとんどいなかった事がわかります。

秦郁彦は1944年ビルマのミートキーナ陥落後の米軍の尋問調書[注1]から「慰安婦は、将軍より高収入で、借金を一年で返し帰国したものもいた、現在の物価に換算して1千万以上を家族に送金したり、休日に町へ買い物に行ったり、接客を断る権利も認められていた」としています[注2]。しかしこれにはいくつも疑問があると永井和研究室の白石秀人から研究発表されています。
・本来の訊問の目的は日本軍動向にあり、慰安婦の状況は米軍には直接関心のない周辺事にすぎない。あまり確かめずただ相手の言うことを書いている可能性が大きい。
・実は慰安婦の待遇について報告書内でも矛盾した事を書いている、訊問した人は返事が正確かわかっていない
・訊問は慰安婦20人と雇用主2人に行われており、実は誰が答えたか曖昧です。待遇のよさを答える部分は経営者に聞いた可能性が大きい
・日系2世の米軍兵士がが日本語で訊問したはずです、しかし朝鮮人慰安婦は日本語は片言しかできないので話がちゃんと伝わっていない可能性が大きい
・こういう例はこれ一つ位しか見あたらない。
(以上「従軍慰安婦問題に関する自由主義史観からの批判を検証する」[注3])
ただしこの研究も可能性を追求した状態で終えており、具体的な資料が他にないのが現状です。

9論争ってどういう事になってるの?

ネットでは河野談話への批判や慰安婦朝日新聞のねつ造だという話をよく目にするけど、これに直接答えるものもネット上にはあります。

シンポジウム ナショナリズムと「慰安婦」問題

シンポジウム ナショナリズムと「慰安婦」問題

9. 従軍慰安婦への賠償は行われていないの?

戦後、日本は韓国と「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓基本条約 1965年)[注1]」を結び、約11億ドル(当時1ドル=360円)の賠償を行う事で個人請求権の解決・放棄を行っています。ただし韓国政府はこの補償から傷痍軍人や軍人の遺族、在日・在外コリアン、従軍慰安婦を自国決定で除外しており、賠償が行われておりません[注2]。現在韓国政府は対日補償要求終了を正式に表明し[注3]、今後補償や賠償の請求は韓国政府への要求となると述べています[注4]が、いまだ賠償請求が度々議題に上がっています。

10. 論争ってどういう事になってるの?

ネットでは河野談話への批判や慰安婦朝日新聞のねつ造だという話をよく目にするけど、これに直接答えるものもネット上に肯定的・否定的なもの両方があります。

従軍慰安婦肯定>

従軍慰安婦否定>

11. つまり…本当はどう言う事なの?

現在「従軍慰安婦問題」という考え方は3つに分けられます。

従軍慰安婦肯定派
従軍慰安婦肯定-強制連行否定派
従軍慰安婦否定派

歴史的な事実として見ると、現在の資料だけでは「従軍慰安婦肯定-強制連行否定派」の事実が強いようですが、実際従軍慰安婦だった方々の証言やその他の考察から未だ結論は出ておりません。特に最近この問題は政治的な意味合いも多く含む事になり、大韓民国政府の日本に対する外交カードのひとつとしても使われていますので、資料を読みとる事で自分で判断するのが一番良いと思われます。

一読して事実誤認があまりに多く、訂正するにしても、さて、どこから手を付けようかといった状態で頭痛がしてくるわけですが、慰安婦問題の本質的なところ(国家の行った管理売春、事実上の人身売買制度、性暴力、人権侵害)あたりの記述を加えて、あとはひとつひとつ直していくしかねえか…と。

まぁ、書き換えられる以前の記述にも、強制連行だけが問題であるかのようにずらっと並んでいたり、文玉珠さんの貯金が26145円であり「陸軍大将の年俸でさえ数千円で、これはかなりの高額です。」と戦時中すでに軍票ハイパーインフレにより紙くず同然であったことを無視する暴論が書いてあったり、なんだかなぁと。