NHK「JAPANデビュー 」第1回「アジアの“一等国”」の説明

4月5日に放送されたNHKスペシャルJAPANデビュー」の第1回「アジアの“一等国”」の内容が「とんでもなく偏向している!」と自己矛盾の塊のような糾弾活動を、まだやってる人たち*1の為に、NHKが(こちら:http://www.nhk.or.jp/japan/)でPDFファイルの説明文を掲載しました*2。で、それをOCRでテキスト化したものをid:bluefox014さんのblogのコメ欄に書き込んでくれた方がいたので、こちらでも紹介させてもらいます。


(PDFファイル)「アジアの“一等国”」の説明
http://www.nhk.or.jp/japan/pdf/asia.pdf
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平成21年6月17日

シリーズ・JAPANデビュー第1回「アジアの“一等国”」に関しての説明


4月5日(日)夜9時から放送したNHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー第1回アジアの“一等国”」について、放送後、視聴者の皆様から多数のご意見、ご要望を頂戴しました。「ずしりとした内容で、よくこれだけの取材ができたものだと深く感動した」、「私は台湾の歴史を勉強したが、優れた作品だった」など高い評価をいただきました。その一方で、「内容が偏っている」、「事実関係に誤りがある」、「台湾の人たちへのインタビューを恣意的に編集している」などの批判の声も寄せられました。そこで、この番組のテーマといくつかの事実関係について説明させていただきます。


1、 番組のテーマと取材・制作姿勢について


「プロジェクトJAPAN」という企画は、横浜開港150年となる今年から3年にわたって、日本の近現代史を見つめ直そうとするものです。初年度は、NHKスペシャルで「JAPANデビュー」というシリーズを組み、1859年の横浜開港から1945年までの日本の歩みを描く番組を放送しています。


「シリーズ・JAPANデビュー」のテーマは、150年前世界にデビューし、西洋列強を目標に近代国家をめざした日本が、いったんは五大国の一つになりながら、なぜ国際社会の中で孤立し、焼け野原に立つことになったのかをたどり、未来へのヒントとすることです。このシリーズでは、日本が西洋列強に伍していこうとする時に命運を握った4つのテーマ、「アジア」、「天皇憲法」、「貿易」、「軍事」に焦点をあてています。


第1回「アジアの“一等国”」は、日本が最初の植民地とした台湾に近代日本とアジアの原点をさぐり、これから日本がアジアの入々とどう向き合っていけばよいのかを考えようとしたものです。


「アジア」に関して、当初複数の国や地域に関する幅広いリサーチを行いましたが、その中で台湾の国史館台湾文献館に「台湾総督府文書」が保存されていることがわかりました。日本内地の行政文書は、太平洋戦争の終結直前に多くが焼却されています。日本統治50年を記録したこの2万6千冊の「文書」は、第一級の一次史料です。私たちは、この「文書」を丹念に読み解くことで、日本が初めての植民地をどう統治したのか、またどのような近代国家をアジアとの関係の中でつくろうとしたのかが見えてくるのではないかと取材を進めました。一方、イギリスやフランスにも貴重な外交史料が残されていることが判明しました。台湾は当時、西洋列強にとって軍事上、地政学的に重要な場所でした。また、樟脳、砂糖、茶が「台湾の三宝」といわれ、貿易の面でも注目されていました。イギリスやフランスは台湾に領事館をおいていましたが、そこから本国に送られた膨大な報告書からも当時の日本の姿が浮き彫りになってくることがわかりました。


「プロジェクトJAPAN」は、世界史的な視点を大事にしたいと考えていましたので、「台湾総督府文書」に加え、こうした海外の一次史料の裏付けがあることで、台湾を舞台にした番組が制作できると判断しました。その後国内、海外で数多くの研究者に取材を行っています。番組はこうした一次史料や研究者への取材にもとづいて制作しています。特定のイデオロギ一や歴史観にもとづくものではありません。


台湾が親日的であるという事実は多くの日本人が認識していることであり、この番組でも伝えています。また、日本が植民地時代に、台湾において鉄道や港湾などの社会的基盤を整えたことを伝えています。後藤新平が「台湾の宝」である樟脳産業を立て直したこと、そしてこの後藤の改革によって樟脳がイギリスに安定的に供給されるようになり、歓迎されていることも当時のイギリス側の資料で伝えています。さらに、台湾総督府が欧米向けに出版した「台湾十年間の進歩」を紹介し、「台湾歳入」、「内地貿易」の金額が急増したことを伝えています。


番組では、こうしたことをふまえた上で、台湾を内地と同様に扱う「同化政策」や、台湾入を日本入に変えようという「皇民化政策」といった植民地統治の実態を、一次史料や映像、証言などによって描いたものです。


2、 番組の主な事実関係、用語について


一部の方から、番組の中で伝えた事実関係や用語について、「聞いたことがない」、「間違いである」、「表現が不適切」といった指摘があります。以下、「人間動物園」、「日台戦争」、「漢民族」、「中国語」について、それぞれの事実関係や用語に間違いはないことを説明します。


(1)「人間動物園」について


番組では、1910年にロンドンで開かれた日英博覧会を取り上げていますが、その中で「人間動物園」に関して以下のようにコメントしています。


「日本は、会場内にパイワンの人びとの家を造り、その暮らしぶりを見せ物としたのです」。「当時イギリスやフランスは、博覧会などで、植民地の人びとを盛んに見せ物にしていました。人を展示する『人間動物園』と呼ばれました。日本は、それを真似たのです」。


以下、人間動物園についての説明です。


イギリスやフランスは、博覧会などで被統治者の日常の起居動作を見せ物にすることを「人間動物園」と呼んでいました。人間を檻の中に入れたり、裸にしたり、鎖でつないだりするということではありません。フランスの研究者ブランシャール氏が指摘するように「野蛮で劣った人間を文明化していることを宣伝する場」が人間動物園です。番組は、日本が、イギリスやフランスのこうした考え方や展示の方法を真似たということを伝えたものです。


日本国内では、日英博覧会の7年前、1903年、大阪で開催された第5回内国勧業博覧会において、「台湾生蕃」や「北海道アイヌ」を一定の区画内に生活させ、その日常生活を見せ物としました。この博覧会の趣意書に「欧米の文明国で実施していた設備を日本で初めて設ける」とあります。こうした展示方法は大正期の「拓殖博覧会」や1910年の「日英博覧会」に引き継がれます。


日英博覧会についての日本政府の公式報告書「日英博覧会事務局事務報告」によれば、会場内でパイワンの人びとが暮した場所は「台湾土人村」と名付けられています。「台湾日日新報」には次のように記されています。「台湾村の配置は、『台湾生蕃監督事務所』を中心に、12の蕃屋が周りを囲んでいる。家屋ごとに正装したパイワン人が二人いて、午前11時から午後10時20分まで、ずっと座っている。観客は6ペンスを払って、村を観覧することができる」。また、「東京朝日新聞」の「日英博たより」(派遣記者・長谷川如是閑)には「台湾村については、観客が動物園へ行ったように小屋を覗いている様子を見ると、これは人道問題である」とあります。


日英博覧会の公式報告書(Commission of the Japan ― British Exhibition)には「台湾が日本の影響下で、人民生活のレベルは原始段階から進んで、一歩一歩近代に近づいてきた」と記されています。イギリス側も、日英博覧会の公式ガイドブックで「我々(イギリス)は、東洋の帝国が“植民地強国”(Colonizing Power)としての尊敬を受ける資格が充分にあることを認める」と記しています。こうしたことから日英博覧会での「台湾土人村」は、当時イギリスやフランスで言われていた「人間動物園」として位置づけられていたと考えます。


(2)「日台戦争」について


1895年に日本が台湾を領有し、平定するまでの過程でおこった戦いについて、番組では「日台戦争」と言う用語を使い、以下のようにコメントしています。


「武力で制圧しようとする日本軍に対し、台湾人の抵抗は激しさを増していきます。戦いは全土に広がり、のちに「日台戦争」と呼ばれる規模へと拡大していきます」。


以下、日台戦争についての説明です。


台湾全島「平定」までの戦闘は苛烈で、日本軍だけでも死者は5000人にのぼり、日清戦争の死者の過半数に及んでいます。「日台戦争」という用語は、1995年、『日清戦争百年国際シンポジウム』から使われています。「日台戦争」という用語が使用されている研究書として、たとえば以下のものがあります。


●『日清戦争と東アジア世界の変容』(ゆまに書房、東アジア近代史学会編、1997年)
●『日清戦争 秘蔵写真が明かす真実』(講談社檜山幸夫著、1997年)
●『東アジア国際政治史』(名古屋大学出版会、駒込武著、川島真・服部龍二編、2007年)


なお、「戦争」という用語については、以下の歴史的事実が根拠となっています。


ア、「戦時」認定


 日清戦争開戦の前年、1893年5月に「戦時大本営条例」が勅令で定められました。
その後、日清戦争は1895年4月に下関条約が調印されますが、大本営はその翌年の1896年4月まで延長継続しています。これは、台湾における戦いが、「戦時」として認定されていたことを意味しています。


イ、「外征従軍者」


1895年6月、初代台湾総督の樺山資紀は、首相伊藤博文宛の電報の中で、「本島の形勢は恰もー敵国の如く、(中略)、実際の状況は外征」との認識を示し、台湾に派遣された文武諸官員の扱いを「外征従軍者」とするよう申し入れます。これに対し、伊藤首相は「事実上之を外征と見なし、その従軍者を外征従軍者として取り扱う」と回答し、閣議で了承されました。


上記の「戦時認定」と「外征従軍者」に関する歴史的事実により、台湾における戦闘は法制度上において「外征」すなわち対外戦争として扱われています。


(3)「漢民族」について


番組では、以下のように、「漢民族」という表現を使っています。


「1937年、日中戦争が勃発。台湾統治が新たな局面を迎えることになります。当時台湾には、およそ500万人の漢民族がいました。日本は自らの領土内に、敵と同じ民族を抱え込むことになります。」


日本台湾学会理事である東京大学の若林正丈教授編著「もっと知りたい台湾」によれば、「台湾の民族は大きく漢民族系のグルーブと先住民族系のグル―ブに分けることができる。(中略)また漢民族の下位分類であるビン(もんがまえに虫)南系漢民族客家漢民族、それに外省人」とあります。こうした研究者の見解なども参考にして、番組では「漢民族」という表現を使っています。


(4)「中国語」について


番組では、1930年代から日本が台湾で行った皇民化政策を伝える部分で、以下のようにコメントしています。


皇民化とは天皇中心の国家主義の下、台湾人を強制的に日本人へと変える政策でした。学校や新聞などで中国語を禁止し、日本語の使用を強要します。」


日本台湾学会理事である東京大学の若林正丈教授編著「もっと知りたい台湾」の「民族と言語」によれば、ビン(もんがまえに虫)南語(台湾語)も客家語言語学上は中国語の「―方言」として位置づけられており、番組でもそのような意味で使用しています。
 台湾総督府の調査によれば、1930年代に自らを福建系(ビン(もんがまえに虫)南語)と認識している人はおよそ70パーセント、広東系(客家語)と認識している人は十数パーセントいます。
客家の人びとは、自らの客家語という言葉を、台湾語と区別して使用しています。ですから、当時の住民が「台湾語を話す」と表現すると、そこには客家語を話す人びとが含まれないことになります。こうしたことから番組では「中国語」という用語を使用しています。


3、 台湾の方々へのインタビューについて


台湾の方々へのインタビューについて、不適切な編集はありません。また取材や制作過程においても問題はありません。
 番組では、日本の台湾統治時代を知る多数の証言者にインタビューしました。なかでも、台北第―中学校卒業生の柯徳三さん(87才)と、蒋松輝さん(96才)は当時の事情をよく知る人物です。


柯徳三さんについては、―族の方々の人生が日本の台湾統治を象徴しています。柯徳三さんの祖父は、日本統治に協力したー人で、台湾人児童が通う公学校の日本語教師をつとめます。また、地区のまとめ役である「保正」として住民を監視し、台湾総督府に報告する役割を担います。柯徳三さんの父は、日本人の通う小学校に入学したものの、途中で退学させられます。この父の処分に関して後藤新平が命じた通達が「台湾総督府文書」の中に残されていました。柯徳三さん自身は、「同化政策」によって日本人と同じ小学校、中学校に通うことが可能になり、台北帝国大学医学部に進学、その後日本海軍に入隊しました。


蒋松輝さんについては、父の蒋清木が、台湾の民族運動を率いたー人でした。日本統治下で行われた「台湾議会設置請願運動」は重要な運動で、蒋松輝さんはその貴重な証言者でした。蒋松輝さんはまた「台北第―中学校」卒業生の長老的存在です。


こうした台湾の方々へのインタビューについては、「日本の台湾統治の良い部分も語ったのに取り上げられなかった」という批判、また、柯徳三さんが、放送後、NHKの担当ディレクターに「あんた中共中国共産党)の手先だろう」と伝え、NHKに抗議をしているということが、―部で伝えられました。


今回の番組で、台湾の方々のインタビューを恣意的に編集したことはなく、またNHKが柯徳三さんや蒋松輝さんから抗議を受けているということはありません。


取材時、柯徳三さんにはあわせて5時間程度インタビューしています。番組で使用した部分は、柯さんの発言の趣旨を十分に反映していると考えています。恣意的な編集はありません。


柯さんは、5時間のインタビューの中で、当時の日本の統治に対する率直な思いを語っていらっしゃいます。柯さんは「インフラ」について、日本がこなかったらこんな発展はない、と評価される一方で、砂糖や米、樟脳など日本は、投下した資本以上に台湾から富を持ってかえっているととらえ、それを「一種の搾取」と表現されています。後藤新平の駅や病院の建設、また農業の発展に寄与したといわれる八田與一の嘉南大セン(つちへんに川)についても、すごいけれども日本という国はこんなにすごいということを台湾人に示すためにやったのではないかという疑問も提示されています。


「教育」については、24歳まで育ててもらった恩というのがある、という表現で感謝の念を表明されています。柯さんが「恩というのがある」とおっしやっている教育については、番組の中で次のようにコメントで伝えています。


「台湾の同化政策で、まず重視されたのが、教育でした。それまで台湾人は、日本人と別々の学校に通っていました。同化政策によって、同じ小学校に通えるようになります。さらに、日本人しか通うことのできなかった中学校への進学も許可されました。かつて、父親が日本人小学校を退学させられた、柯徳三さんです。柯さんは、同化政策によって、日本人と同じ小学校を卒業し、中学校に進学しました。」


さらに、台北第一中学校の同窓会でのインタビューも、それぞれの方の発言の趣旨を十分反映していると考えています。


台北第一中学校の同窓会の長老的存在である蒋松輝さんからは放送の翌日4月6日、メールをいただいています。「4月5日夜のスペシャル番組を拝見しました。なかなかの出来ばえで、感謝感激に堪えません。厚くお礼を申し上げます。ついでながら、ますますご元気で活躍されますよう祈っております。台北一中、台北三中、基隆中学台湾人同窓有志一同」。


(なお、上記に柯徳三さんのインタビューで放送未使用の部分、また蒋松輝さんからいただいたメールを紹介しています。このことについては、お二人のご了解を得ています。)


以上、今回の番組について、内容に偏向はないこと、事実関係や用語に間違いはないこと、またインタビューは適切に編集していることを説明いたしました。


今回の番組に寄せられたご意見の中に、「こうした歴史を知ってこそ、台湾の人々とより良い関係を築いていける」、また「証言を聞いて、台湾の人たちが、より深い意味で親日家であることがよく分かった」というものがありました。私たちも、この番組によって、日本と台湾の間の絆がさらに深まってほしいと願っています。「こういう番組こそ若い人に見てほしい。NHKには、今の時代に必要なメッセージを発信してほしい」というご意見もありました。歴史の検証は容易な作業ではありませんが、「未来へのプレーバック」というプロジェクトのコンセプトを大事にしながら、今後も「プロジェクトJAPAN」の番組を制作していきたいと考えています。


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※なお、丸付き数字は括弧付きの数字(「(1)」など)に、中国語にしかない文字は新聞スタイル(「センはつちへんに川」など)で置き換えてあります。



(追記)あわせて読みたい
「日台戦争」と呼ぶのは誤りか - 日本近現代史と戦争を研究する

*1:なんでも6月20日に東京でNHKJAPANデビュー」に抗議する国民大行動(笑)をチャンネル桜主催でまたまたやるんだそうです。もう3回目ですよ〜(>_<)

*2:この件、web上では産経:http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/business/media/267421/と、毎日:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090617-00000113-mai-sociが報じてますね。