夏目漱石「支那人は日本人よりも遥かに名誉ある国民なり」 1901年

夏目漱石は1901年(明治34)のロンドン留学時代の日記に、中国人を「名誉ある国民」と記したことがあった。

1901年3月15日付『日記』
「日本人を観て支那人と云はれると厭(いや)がるは如何、支那人は日本人よりも遥かに名誉ある国民なり、只不幸にして目下不振の有様に沈淪せるなり、心ある人は日本人と呼ばるるよりも支那人と云はるるを名誉とすべきなり、仮令(たとい)然らざるにもせよ日本は今迄どれ程、支那の厄介になりしか、少しは考へて見るがよかろう、西洋人はややともすると御世辞に支那人は嫌いだが日本人は好きだと云ふ、之を聞き嬉しがるは世話になった隣の悪口を面白いと思って自分の方が景気がよいと云ふ御世辞を有難がる軽薄な根性なり」

(『魯迅の日本 漱石のイギリス - 「留学の世紀」を生きた人びと』柴崎 信三 p200より)

それから8年後の1909年(明治42)、漱石は学生時代からの友人で満鉄総裁のwikipedia:中村是公(なかむら よしこと、通称「ぜこう」)の招きで満州、朝鮮を1ヶ月余りにわたって旅行し、そのころ大陸を訪れた日本人が抱く中国人観を率直に記した紀行文『満韓ところどころ』を書くわけですが、そこには、「露助」「チャン」といった差別用語もみられる。こういった差別用語は当時の新聞や小説ではよく使われていたりするわけですが(チャンチャン坊主*1、チャン料理とかね)、そこにはやはり


1894年(明治27)に日本は日清戦争に勝利(翌年、講和条約締結)
1904年(明治37)に日本は日露戦争に勝利(翌年、講和条約締結)
(年表:http://www.archives.go.jp/ayumi/table_flash.html?year=1900


の、2つの戦争の勝利が、まなざしに大きな転換をもたらしたのでしょうね。

関連リンク

  • 朝日新聞に途中で中止されるまで連載された『満韓ところどころ』は青空文庫で全文読めるよ。

  http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/781_14965.html

*1:「チャンコロ」は「中国人」の中国語音zhongguorenの転訛とされるが、「チャンチャン坊主」は辮髪(べんばつ)と結びついた蔑称。