関東大震災と黒澤明
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の際に起こった朝鮮人虐殺事件(間違われて殺害されたなかには中国人、日本人もいました)に関するトンデモ本が発売されたようですね。
以前に買った「http://www.shogakukan.co.jp/nrekishi/」シリーズの14巻『「いのち」と帝国日本(著)小松裕』に、日本映画の巨匠の1人、黒澤明氏が自伝書『蝦蟇の油 ― 自伝のようなもの』のなかで関東大震災後に、自警団に駆り出されたことを回想している記述が紹介されていたことを思い出したので文字起こししてみました。
黒澤明と威錫憲
当時一四歳であった黒澤明少年の父は、長いひげをはやしているというだけで、朝鮮人に間違われ、長い棒を持った人たちに取り囲まれたという。ここで、自警団に駆り出されたひとりであった黒澤明の回想をみてみよう。
町内の家から一人ずつ、夜番が出ることになったが、兄は鼻の先で笑って、出ようとしない。
仕方がないから、私が木刀を持って出ていったら、やっと猫が通れるほどの下水の鉄管の傍(かたわら)へ連れていかれて、立たされた。
ここから朝鮮人が忍びこむかも知れない、と云うのである。
もっと馬鹿馬鹿しい話がある。
町内の、ある家の井戸水を、飲んではいけないと云うのだ。
何故なら、その井戸の外の塀に、白墨(はくぼく)で書いた変な記号があるが、あれは朝鮮人が井戸へ毒を入れたという目印だと云うのである。
私は惘(あき)れ返った。
何をかくそう、その変な記号というのは、私が書いた落書だったからである。
私は、こういう大人達を見て、人間というものについて、首をひねらないわけにはいかなかった。
黒澤の回想にあるように、人びとは、家の塀や壁板に書かれた記号を見て、疑心暗鬼に陥った。「ヤ」は殺人、「ヌ」は爆弾、「A」は放火、「仝」が毒薬投入のしるしだというのである。なんのことはない。警察署の調べでは、それらは、屎尿汲取(しにょうくみとり)業者の従業員が付けた目印にすぎなかった。
不忍池のほとりで不安な一夜を明かした成錫憲(ハムソクホン)*1は、翌二日、友人と晩ご飯の買い出しにいったところ、群衆がワーッと走り寄ってきて、またたくまに取り囲まれてしまった。〈こいつらは間違いないぞ、こいつらはそうにちがいない〉と口々に叫ぶ群衆の手には、キラキラ光る短刀や太刀、それに鉄棒などが握られていた。何がなんだかわからずに恐怖に怯えていると、巡査がやってきて群衆を解散させた。そして、二人は警察署まで連行され、留置場に入れられた。留置場の中は朝鮮人であふれていた。朝鮮人と間違われた中国人や日本人も一人二人いた。
このようにして威錫憲は、運よく殺害されることをまぬがれた。
「いのち」と帝国日本 小松裕 p310.311より
「いのち」と帝国日本 (全集 日本の歴史 14)
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ぼくの住む千葉県でも行徳、船橋、習志野、八千代などで朝鮮人が殺害されたそうです。とくに習志野では収容された朝鮮人を、軍が周辺の村に「払い下げ」て殺害させるということまで行われています。
こういった集団ヒステリーが生んだ狂気は、けっして過去のことではなく、同じことは現在の日本でも、いつでも起こりうる問題だと思います。
1分23秒あたりから。
在日特権を許さない市民の会 09年9月27日in秋葉原【在特会】
*1:成錫憲(ハムソクホン)についてはこちらのサイトが詳しいです:http://uchimurakorea.hp.infoseek.co.jp/koreawind/Ham_Sok-hon/Ham_Sok-hon.htm