慰安婦証言集会を中止に追い込む愚かさ

2010/4/16 保守系団体が抗議、慰安婦講演会キャンセルに 名古屋 - asahi.com朝日新聞社
http://www.asahi.com/national/update/0415/NGY201004150030.html

 名古屋市内で17日に予定されていた戦時中の慰安婦問題の講演会が、保守系団体の圧力で会場のキャンセルに追い込まれていたことが分かった。抗議を受けた貸しホール「桜華会館」(同市中区三の丸)の職員が主催者に相談し、主催者側がやむなく利用中止を決めた。今後、別会場での開催を検討する。

 講演会は、韓国在住の元慰安婦の女性を招いて証言を聞くもの。韓国併合100年の節目に、歴史を学ぶのが狙いだった。新日本婦人の会愛知県本部が主催し、2月に予約を入れていた。

 会館によると、最初に抗議があったのは今月10日。保守系団体のメンバーを名乗る約10人が突然、会館を訪れ、「なぜ、開催を認めたのか」「やめさせろ」などと、一人で応対した職員に要求した。サングラス姿の男性が「胸ぐらをつかんでもいい」など、脅迫めいた言葉を投げかける場面もあったという

 桜華会館は、神田真秋愛知県知事が顧問を務める財団法人が運営しており、施設の一部は県が所有している。県遺族会連合会の事務所や、戦没者の遺品を展示する「平和記念館」も併設。10日以降も、「英霊を侮辱するのか」などと抗議電話があり、別の男性が訪れ、職員に「自決するか、会場使用を断るか」と迫ったという

 その後、別の保守系団体の関係者から、講演会のある4階ホールの下の3階の会議室に予約が入った。団体に関連するホームページ上では、会議室で講演会に対抗するパネル展を開くことや、抗議活動への集結を呼びかける書き込みもされた。

 混乱を心配した会館職員は13日、婦人の会に連絡を取り、講演日に会館内や近くで勉強会や結婚式があることなどを説明し、「周辺に迷惑をかける可能性がある」と伝えた。婦人の会は14日、自主的に予約を取り下げた。会館の責任者は「キャンセルを求めたのではなく、混乱が予想されるので、どうされますか、と聞いた」と説明する。

 婦人の会の水野磯子代表委員は「会館から働きかけられ、残念だがキャンセルを選んだ。慰安婦の生の声を静かな環境で聞きたいためで、脅しに屈したのではない。歴史の事実を伝えるため、別の会場を探して講演会を開く」と話している。(西本秀)


これについては、id:felis_azuriさんが以下のブログで詳しく書かれています。職員に対し「胸ぐらをつかんでもいい」「自決するか」と恫喝、脅迫をおこないキャンセルに追い込んだ保守系団体とは、あの「在特会」らしいです。

Gazing at the Celestial Blue 証言集会を潰しても歴史は変わらない
(リンク先には証言をする予定だった元日本軍「慰安婦」の姜日出(カン・イルチュル)さんの証言なども紹介されています。)


んで、この件、またいつものように「どっちもどっち」や、「慰安婦はデマだから妨害されて当然」みたいなことを言っている人達が湧いています。この人達は民主主義と日本国憲法21条を理解しているんでしょうか。Wikipediaからであれなんですが、うまくまとまっていたので引用します。


wikipedia: 表現の自由

民主主義にあっては、政治上の意思決定は終局的には市民によってなされることとなるが、適切な意思決定をなすには、その前提として十分な情報とそれに基づく議論が必要となる。情報を得、また議論をなすためには表現の自由は必要不可欠な権利である。いわば、表現の自由は、民主主義の根幹をなしているのである。
(中略)
日本国憲法第21条第1項において「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と規定されている。


たとえ自分と意見が違っても言論・表現の自由は絶対に保証されなければなりません。これが保証されないと民主主義は死ぬことになります。そいう意味で、この「在特会」の脅迫を「どっちもどっち」的な態度で加担したり支持するという行為は、表現・言論の自由を奪うことに繋がりかねない悪質さがあり、言い方はよくないですが「肉屋を支持するブタ」のようなものです。


次に、某掲示板を覗いてみたら、「慰安婦問題は朝日が広めた」だとか「強制連行はデマ」だとか「反日」がどうたらこうたらといった使い古された捏造コピペを必死に貼っている悲しい人達がいたので書いておきますが、慰安婦問題は海外ではそのような次元では語られることはありません。女性の「人権」「性暴力」の問題と認識されています。


わたしは最近、戦後に流行作家になった田村泰次郎氏の中国山西省への従軍体験をもとにした小説「裸女のいる隊列」「蝗」などが収録された『田村泰次郎選集』の2,3,4巻を読んでみたのですが、そこには当時「普通の日本兵」として出兵していった人達が「慰安婦」を消耗品として扱い、その暴力性は「国のため」「兵隊のため」だと「愛国」の名のもとに行われていたことが描かれていました*1


そして、戦後、長い間わたしたちは、この性暴力を”恥”として沈黙することを強いるか、"黙っていればそのうち過ぎ去ってくれる"とタブー視してきました。


現在も、どれぐらいタブーにされているかは言わずもがなですが、例えば、ここ10年ぐらいは、慰安婦問題を扱ったテレビ番組というものは放送されていませんし*2、これまで全国の20以上の地方市議会で『日本軍「慰安婦」問題に対して、政府の誠実な対応を求める意見書』というものが採択されていますが*3、全国紙はおろか地方紙にいたってもこれを報じる新聞はほとんどありません。もちろん教科書からも削除されています。


慰安婦問題を考えるとき、このような戦後、半世紀にわたってずっと沈黙を強い続けているこの抑圧する社会構造のなかにわたしたちはいること。それは加担者として存在していること。これを自覚したうえで、ひとりの人間としてこの問題に向き合っていく姿勢が大事なのではないかと思います。


最後に、上野千鶴子氏の辛辣な批判を以下、要約で紹介して終りにします。


慰安婦問題」といのは「過去の問題」だけではなく「現在の犯罪」でもあります。まず事実そのものが犯罪であり、「沈黙」を強いた日韓の社会が加害者であり、かつそれを証言した人に対してそのような事実はなかったと「否認」を行うことによってさらなる犯罪を行うことは、時制の違う「三重の犯罪」がそこにはある。

ここにあるのは事実を引き起こした者たちの「戦争責任」ばかりでなく、沈黙を継続させようとする「戦後責任」、かつ否認する者の現在の「政治責任」がある。

今日の日本では、戦後生まれが国民の3分の2を占めています。彼らに「戦争責任」はないかもしれないが、「戦後責任」と現在の「政治責任」については3分の2を占める戦後生まれの国民にも責任がないとはいわせない、ということになります。

(『日本における多文化共生とは何か 在日の経験から』著者: 朴鐘碩,上野千鶴子,崔勝久,加藤千香子 p197.p198から要約。)

関連リンク


慰安婦」を抑圧する構造については、以前にも以下のエントリーで上野千鶴子氏の講演での発言を紹介しています。
教科書が教えない歴史、日本軍「慰安婦」問題について - Transnational History

*1:これは従軍体験をもとに書かれた小説ですので必ずしも厳密に史実に従っているわけではありませんが、当時の普通の日本兵の人権感覚というものはよく描かれていると思います。それと、個々の慰安婦の生活状況というものは時期や場所によって大きな違いがあったことは留意すべきでしょうね。

*2:具体的には2001年1月に、元「慰安婦」の証言がカットされるなど番組内容が改変されて放送された「ETV2001シリーズ戦争をどう裁くか」の第2回「問われる戦時性暴力」が政治的な問題となって以降。

*3:リンク先で、これまで地方議会で採択されたすべての意見書と、その全文が確認できます:http://www.jca.apc.org/ianfu_ketsugi/ikensho.html