「セデックバレ(賽徳克巴莱)」の動画

少し前に、台湾在住のid:annoncitaさんのブクマで知ったのですが、映画「セデックバレ(賽徳克巴莱)」のクランクアップ前の最新映像がYoutubeにupされていました。
監督のウェイ・ダーション魏徳聖)は、台湾で最大のヒットとなった映画「海角七号 君想う、国境の南」の監督で、10年以上の歳月をかけて構想してきたものだそうです。クランクアップは7〜8月、日本での公開は来年夏ごろになる予定だそうです。
すごくたのしみな映画であります。


YouTube - 賽紱克.巴〓最新片段及幕後花絮


「セデックバレ」の日本語版公式ブログ「賽紱克-巴莱:http://ameblo.jp/seediqbale」より

「セデックバレ」は今年七月と八月との間にクランクアップ予定。そして、来年の夏休みに台湾の観客に届けられる。この作品の公式ブログには撮影現場の様子を記録する制作日誌が引き続きアップされるほか、これからも映画関連のイベントを開催される予定がある。観客と共に「セデックバレ」(本物の人間という意味を持つ言葉)の誕生を見届けることを期待している。
http://ameblo.jp/seediqbale/entry-10536902535.html


この映画は1930年、日本統治下の台湾で、先住民族のタイヤル系セデック(セイダッカ)族が日本の統治に抵抗し武装蜂起した「wikipedia:霧社事件」を描いた作品で、プロデューサーにはあのジョン・ウーが参加し、同じタイヤル族の血を引くビビアン・スーも高山初子役を演じています。*1


ここからは、ビビアン・スー演じる高山初子について調べたことなどを書いていきます。


あるブログに、「日本人役のビビアン・スー」と、もしかしたら当時「内地」といわれた日本から移住した日本人だと誤解してるじゃ?? と思う書き方をしている人がいたのですが、高山初子とは、事件後に自殺した花岡二郎の妻であり、この2人は共に台湾の霧社・ホーゴー社(村)出身の「日本人化された先住民族」です。

それは当時、「日本人」であったのだけれども「内地の日本人」とは同じ権利を認められない*2「外地の日本人」という存在で、「帝国臣民」とも呼ばれました。



当時の台湾総督府は日本人化に最も成功した模範地区として霧社を宣伝していたそうです。霧社の武装蜂起を率いたモーナルーダオを日本視察に招いたり、優秀な「蕃童」を選んで日本人と共学させ「模範生」として育てたりと。

その「模範」の典型が、巡査で蕃童教育所教師のダッキス・ノビン(花岡一郎)と、警丁(警察の助手)のダッチス・ナウイ(花岡二郎)だったそうです。台湾総督府は彼らを官費で教育し、実際には血縁関係はなかったのですが、さも兄弟のような日本名を与えました。

そして、同じ「模範」の典型で、日本人の通う小学校へ特別に入学を許可されたオビン・ナウイ(川野花子)と、オビン・タダオ(高山初子)との日本式の婚礼は、台湾全土に報道されたそうです。

で、この4人が霧社事件に実際どこまで関与していたのかは、いくつか説があるらしく、正直よくわかりませんでした。いい加減なことは書きたくないので、これについては判断を保留しておきますが、とにかくはっきりしていることは事件後にビビアン・スー演じる高山初子以外の3人は自殺しているということです。映画の中ではどのように描かれているのでしょうかね。非常に気になるところです。


参考1
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2029.html#id_285cf8b5

【写真】花岡一郎、二郎、二人は共に霧社のホーゴー社出身で義兄弟の契りを交わしていたが、実際の血縁関係はなかった。初子はホーゴー社頭目の娘、花子は頭目の妹の娘。


参考2
http://hdl.handle.net/10083/34700
http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/bitstream/10083/34700/1/2_8-26.pdf

 本教育令から3年後の大正11(1922)年公布された台湾教育令(勅令第20 号,通称第二次教育令)によってようやくその内容は「内地延長主義」へと転じた.冒頭の引用に示したとおり,台湾人子弟が日本人のための学校(小学校)への入学が許可され,概ね内地の教育制度に依拠し,「内台人の教育の差別を撤廃」し,これにより,日本人と台湾人の教育制度が統合されたのである.台湾社会の「民度」が向上し,「厳密なる差別教育の必要を認め」ず,同化していく能力を備えたと判断されたといえる.田総督はこの第二次台湾教育令の発布に際し,「内台人間の差別教育を撤去し,教育上全く均等なる地歩に達せしめたるは本総督の洵に欽快とする所なり」と評価した.駒込(1996)は,こうした転換を可能にした要因として,第一次世界大戦後の世界情勢の変化,三・一運動インパクト,原敬首相の内地延長主義への志向と共に,当時のアジア諸民族におけるナショナリズムの興起に対して日本帝国主義が守勢にまわりはじめたことがあるのではないかと指摘している(駒込1996:129).


 しかしその「同化」は表面上のことに過ぎず,台湾人子弟が日本人のための小学校への入学が許可されたとはいえ,小学校への入学基準は「国語を常用するか否か」に依拠していたため,国語を家庭では常用しない台湾人子弟はほとんど小学校に入学できなかったのである16).つまり実態は,日本人と台湾人用の学校とを明確に分離する差別教育が継続することになった.


駒込 武 1996.『植民地帝国日本の文化統合』岩波書店

16)小学校において1 クラス50 人に対し台湾人生徒は1 〜 2 人に過ぎなかった.


参考3
賽紱克-巴莱 - 安穏日記
http://d.hatena.ne.jp/annoncita/20090929

魏監督はあるときニュースで原住民の団体が抗議する姿を見て、えらく心を捕らえられたらしい。それ以来、「霧社事件」に興味を抱くようになって、あちらこちらを調べまわるようになった。いつしか「霧社事件の映画を撮ろう」との決意が固まって、それ以来ずーっとこの映画のために様々な準備を重ねてきた。手元にある「賽徳克・巴除ナ」脚本からのノベライズ本の折り返し部分によりますと、1999年には脚本が完成していて、優秀脚本賞を獲得しているとのこと。

なのですが、ともかく魏監督は新人の無名監督に過ぎず、構想する映画を撮るにはまるきり資金が足らない。(中略)監督自身の実績…。果たして資金を出しても、回収できるのかどうか…。そんな状況にいろいろ煩悶した結果、まずはきちんと集客できる映画が作れることを証明しなくては、と方針転換をして撮られたのが「海角七号」だったんです。


【追記】↓ 2011年6月に新しく映画の予告編がUPされました!


《賽紱克‧巴除ナ》戲院預告(HD) - Seediq Bale - Theatrical Trailer - English Subtitled



台湾関連リンク

台湾出兵の新聞錦絵や「国民」意識の形成など。 - dj19の日記 台湾出兵の新聞錦絵や「国民」意識の形成など。 - dj19の日記

*1:http://ameblo.jp/seediqbale/entry-10492119991.html

*2:代表的なものでは選挙権など。