詭弁「当時の日本の行為を現在の基準で断罪することは歴史に対する冒涜だ」について
Apemanさんのエントリ『もう1つのクリーシェ - Apeman’s diary』で知ったのですが、佐藤優氏がこんなことを言っています。
日韓併合条約が発効した1910年は、帝国主義の時代だった。当時の日本の行為を現在の基準で断罪することは、歴史に対する冒涜だ。
http://news.livedoor.com/article/detail/4938861/
当時の日本の行為を現在の価値観(基準)で見るな、裁くな、断罪するな、といったいくつかのバリエーションがありますが基本パターンは同じ「現在の価値観で過去を見るな」という主張です。ん? なんかおかしいですね。例えば、戦時中に美談として謳われた「玉砕」についても当時の基準のままに今も語らなければならないということなのでしょうか。んなわけない。
この詭弁「現在の価値観で過去を見るな」という主張については、歴史認識として不十分であり、誤った考え方であることが、すでに歴史学者の山田朗氏によって指摘されています。
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山田朗『歴史修正主義の克服』 p85〜86、p143〜145より
(現在は閉鎖中の「blog*色即是空」の山木さんが以前に引用紹介していたものが『現在の価値観で過去を見るな 1 - 竹島領有権』に転載されていましたので、こちらでも改めて紹介したいと思います。以下、強調部分は引用者。)
◆「現在の価値観で過去を見るな」という論
「現在の価値観で過去を見るな」という意見は、日本のおこなった膨張・戦争・侵略を「当時はあたりまえのことだった」という言い方で水に流してしまおうという議論の時によく使われる。たとえば、「従軍慰安婦」などは、公娼制度が存在した当時の価値観からすれば悪いことでもなんでもない、という意見である。この考えによれば、歴史はその当時の価値観に基づいて描かなければならない、ということになる。つまり、アジア太平洋戦争を描くなら1940年代の日本の価値観に基づいて描く、明治維新は明治維新の考え方で見る、縄文時代は縄文時代人になりきって描くということになる。
しかし、これは実際には不可能なことである。歴史家がその時代の価値観を知ることは必要なことであるが、その時代の人間になりきるなどということはそもそもできないことなのだ。叙述される歴史というものは、常に歴史家が生きているその時代の価値観に基づいて書き換えられていくものである。「歴史的に見る」とは、対象とする時代の価値観で見るということではなく、対象とする時代に生きていた人々の眼には何がどのように映っていたかを探ると同時に、その人々には何が見えていなかったのかを知ることなのである。
「現在の価値観で過去を見るな」という論は、過去に起こったことは過去においてはどうしようもなかったのだ、という議論につながり、結局、歴史というものから何も学ばないということに他ならないのである。この点については「自由主義史観」グループの「歴史相対主義」の便宜的利用を批判する際に、再度論じることとする。<中略>
◆「歴史相対主義」の便宜的利用
「歴史相対主義」の便宜的利用は、『国民の歴史』のところでも触れたが、『新しい歴史教科書』の歴史叙述の特徴にも密接に関連してくることなので、あらためて論じておこう。『新しい歴史教科書』には「歴史を学ぶとは」と題して、次のようにある。
「歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない。過去のそれぞれの時代には、それぞれの時代に特有の善悪があり、特有の幸福があった」
「歴史を固定的に、動かないもののように考えるのをやめよう。歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよう」
「過去のそれぞれの時代には、それぞれの時代に特有の善悪があり、特有の幸福があった」というのは、当たり前のことである。その時代にはその時代特有の価値観があったことは確かである。だが、ここでこの教科書が言いたいのは、そこではなく、歴史を「今の時代の基準」あるいは「現在の道徳」で「裁く」ことはいけない、という部分であろう。過去には過去の価値観があるのだから、過去の出来事を現在の価値観から「裁く」ようなことはしてはならない、というのである。
「裁く」という言葉を使うと断罪するといったニュアンスを含んでいるのでもっともらしく聞こえるのだが、歴史学研究の立場から言えば、「過去の価値観」を「その時代特有」のものとして認識することと、現在の価値観を基準に歴史を認識したり叙述したりすることとは、何ら問題なく両立することである。「そもそも、「過去の価値観」を「その時代特有」のものとして認識できるのは、現在の価値観を基準に比較検討するからである。「過去の価値観」を過去のものとして、その特徴やそれが形成されるにいたった諸要因を考察するのは歴史学の基本的な仕事の一つであるし、「裁く」といったことではなく、現在の価値観や社会的関心に基づいて、歴史上の人物を評価(発掘)したり、歴史的事件から何事かを学びとるといったことも、歴史学の重要な仕事である。歴史は、つねに歴史研究・叙述がなされるその時代の、つまり最新の価値観に基づいて書きかえられていくものなのである。そうでなければ、とうの昔に『決定版・日本歴史』ができあがっているはずだ。
「つくる会」の教科書では、「歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことなのである」と断言している。しかし、「過去の人がどう考えていたか」を知ることだけでは、十全な歴史認識とは言えないのである。つまり、過去の価値観を知った上で、その時代を客観的に見ることが必要なのだ。歴史を検討するということは、多分に、現在の自分たち(国家や社会)の鏡としての過去の自分たち(国家や社会)の姿を見ることにほかならない。そのためには、過去の人に見えていたことだけを再確認するだけでなく、その時代の人に何が見えなかったのか、それは何にとらわれていたからなのか、を認識する必要がある。過去の人の視野にあったこと、なかったこと、それらをあわせて知ってこそ、歴史認識といえるのである。
これは、決して、過去の人を「裁く」ことでも、見下すことでも、現代人を特別な地位に置こうとするものではない。なぜなら、現代のわれわれも、必ずや何ものかにとらわれ、肝心なことが見えていないかもしれないからだ。われわれも未来の人々に、同じように検討され、場合によっては批判されるからである。
同時に、過去の歴史を知るということは現在(の「日本」「日本人」)を知るということでもあります。