メル凸裏目に? NY州議会で「慰安婦」決議採択

以前にツイッターで、慰安婦問題について「単なる人身売買」とのたまう池田信夫のような二次加害や、「河野談話」の見直し論などが繰り返されれば、慰安婦決議の第二弾が再び可決される日がくるかも、とつぶやいたんですが、29日にニューヨーク州議会上院にて従軍慰安婦決議が全会一致で採択されたのでした。


2013/1/30 慰安婦は「人道に対する罪」=NY議会が非難決議 - 時事通信
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201301/2013013000052&g=pol

 【ニューヨーク時事】米ニューヨーク州上院は29日、旧日本軍の従軍慰安婦問題について、「人道に対する罪」との表現を使って事実上、これを非難する決議案を採択した。
 決議案はニューヨーク市近郊の公園に2012年6月に「慰安婦の碑」が建てられたのを記念し、今月、上程された。「日本がアジアと太平洋の島々に対し、植民地支配と戦時占領を行った1930年代から第2次世界大戦の間、約20万人の若い女性が強制的な軍の売春である慰安婦システムに従事させられた」と指摘。慰安婦の碑は、人道に対する罪を思い起こさせる役割を果たすとしている。
 決議案を提出したトニー・アベラ議員は採択に先立ち、慰安婦問題を「20世紀最大の人身売買事件の一つ」と断じた。 
 下院にも同様の決議案が提出されており、来週にも採択される見通し。
 米国では2007年7月、慰安婦問題で日本の首相が公式声明の形で明確な謝罪をするよう促す決議が連邦議会下院で採択されている。(2013/01/30-06:21)


2013/1/30 NY州議会“慰安婦”決議採択 - NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130130/k10015158071000.html

 アメリカ・ニューヨーク州議会上院は29日、いわゆる従軍慰安婦の問題について人道に対する罪だとして、巻き込まれた女性たちの尊厳をたたえるという決議を全会一致で採択しました。

 この決議案は去年、ニューヨーク郊外の公園にアメリカでは2つ目となる「慰安婦の碑」が建てられたことに合わせて、ニューヨーク州の57人の上院議員が共同で提出したもので、採決の結果、全会一致で採択されました。
 決議では、第2次世界大戦中の日本の「従軍慰安婦」は、人道に対する罪だとしたうえで、巻き込まれた女性たちの尊厳をたたえるとしています。
 決議案の草案には当初、「日本政府に公式な謝罪を求める」という文言も含まれていましたが、州議会で外交関係に触れることは適切ではないと判断され、その部分は削除されたということです。
 アメリカでは2007年、連邦議会下院で、慰安婦問題を巡って日本に謝罪を求める決議が採択されていますが、従軍慰安婦に関する決議が州議会レベルで採択されるのは初めてです。
 決議案を提出したニューヨーク州議会のトニー・アヴェラ上院議員は「人権問題について世界でも先駆的なニューヨークでこの決議が採択されたことで強いメッセージが打ち出せた」と述べました。


ニューヨーク州上院のHPには採択された決議文(No.J.304)と思われるものがアップされていました。


J.304 – 2013 : Memorializing a Memorial Monument in the State of New York that pays tribute to those who have become known to the world as 'Comfort Women'
http://open.nysenate.gov/legislation/bill/J304-2013
(一部だけ対訳)

J304-2013 Text

LEGISLATIVE RESOLUTION memorializing a Memorial Monument in the State of
New York that pays tribute to those who have become known to the world
as 'Comfort Women'
WHEREAS, During the Japanese colonial and wartime occupation of Asia and
the Pacific Islands from the 1930s through the duration of World War II,
approximately 200,000 young women were coerced into the Comfort Women
system of forced military prostitution; and
(強調部分の和訳:日本が植民地支配と戦時占領を行った1930年代から第2次世界大戦の間、
アジアと太平洋の島々の約20万人の若い女性は軍用売春を強制する慰安婦システムに従事させられた。)
WHEREAS, On June 16, 2012, the Comfort Women Memorial Monument was
established in the Veterans Memorial at Eisenhower Park in Westbury, New
York, to honor and commemorate the victims of the Comfort Women system;
and
WHEREAS, The Memorial Monument, being the second memorial of its kind
in the United States, symbolizes suffering endured by comfort women and
serves as a reminder of the crime against humanity committed through the
Comfort Women system; and
WHEREAS, It is the custom of this Legislative Body to recognize
historical monuments within the State of New York that are established
to increase awareness of serious events that have taken place in histo
ry; and
WHEREAS, The United Nations reports that 2.4 million people across the
globe are victims of human trafficking at any one time, and 80 percent
of them are being exploited as sexual slaves; now, therefore, be it
RESOLVED, That this Legislative Body pause in its deliberations to
memorialize a Memorial Monument in the State of New York that pays trib
ute to those who have become known to the world as 'Comfort Women'; and
be it further
RESOLVED, That copies of this Resolution, suitably engrossed, be tran
smitted to the Korean American Public Affairs Committee, the Kupferberg
Holocaust Resource Center and Korean American Civic Empowerment.

議会での採択の様子を映した公式動画。
19:30あたりから、
New York State Senate Session- January 29, 2013 @youtube
http://www.youtube.com/watch?v=1i6OuJY2tmU&feature=youtu.be&t=19m30s


上記の採択された文章を読んでみると日本を非難する性格のものではなく、新しい「慰安婦」記念碑の設置目的は、日本の慰安婦制度(システム)によって耐え難い苦しみを受け犠牲となった女性の尊厳回復と追悼のためのものであること、慰安婦の記念碑は「人道に対する罪*1」を思い起こさせる役割を果たし、今も世界各地に人身売買による被害者が240万人おりその大半が性的奴隷状態に置かれている問題などが述べられています。

それにしても「問題は、軍の強制連行があったか否かだけだ」と宣伝し続けてきた慰安問題否定論者*2、それに大手マスメディアの”反撃”はとんだ的外れだったわけですが、これからはどんな言い逃れをするのでしょうか。やっぱり懲りずに“情報戦”やら“ロビー”といった明後日の方向へまた陰謀脳を振りまわすのでしょうか。


id:o-kojo2さん経由で知ったことも以下にクリップ。


2013/1/31 New York state passes Comfort Women resolution as Japanese email campaign backfires | The Marmot's Hole New York state passes Comfort Women resolution as Japanese email campaign backfires | The Marmot's Hole
日本のメール・キャンペーンが逆効果となりニューヨーク州慰安婦決議を可決する

Here's a press conference by Queens lawmaker Sen. Tony Avella , who sponsored the resolution.
He mentions the email campaign by certain Japanese elements , which predictably backfired:
(決議案を提出した)トニー・アベラ(Tony Avella)上院議員は、日本人によるメールキャンペーンは予想通り裏目に出たと語った。

英語のリスニングが苦手なんでリンク先のインタビュー動画で実際にそう語っているのか確認していませんが、
【追記】上記リンク先には「慰安婦」決議採択後のトニー・アベラ上院議員のインタビュー動画があります。動画を確認してみましたが確かに1:18〜1:21あたりで「predictably backfired (日本からのEメール攻撃は)予想通り逆効果となった」と語っています。
慰安婦」決議採択後のトニー・アベラ上院議員のインタビュー動画
http://bcove.me/i3pzneqy
1:18 〜 1:21あたり
(ここまで追記)
本当なら、日本からの上下両院の議員へのメル凸攻撃が裏目に出たようだ。
これらしい。

NY州上下両院 慰安婦決議反対!議会と議員にメッセージを送ろう!
なでしこアクション
http://sakura.a.la9.jp/japan/


【追記2】韓国の中央日報がトニー・アベラ上院議員のインタビューを報じました。

日本の極右団体の妨害でも慰安婦決議採択したニューヨーク州上院(1) | Joongang Ilbo | 中央日報 日本の極右団体の妨害でも慰安婦決議採択したニューヨーク州上院(1) | Joongang Ilbo | 中央日報

  「ニューヨーク州の上下院議員の相当数が日本の極右団体(なでしこアクション)から醜悪な電子メール攻撃を受けました。慰安婦問題をよく知らなかった議員さえそのメールを見て背を向けました」。

 29日にニューヨーク州上院で満場一致で通過した「日本軍慰安婦決議案304号」を発議したトニー・アベラ議員の話だ。当初彼は「外交問題には触れない」というニューヨーク州議会規定のために決議案通過が容易ではないものと心配した。しかし日本の極右団体(なでしこアクション)の水準以下の妨害工作がむしろ逆効果を生んだ。16日に上程した決議案が2週間ぶりに反対討論すらなく一気に採択されたのだ。
(以下略)

*1:1998年の国連の人権委員会でも慰安婦制度は「人道に対する罪に相当する」と結論付けられており、国連や国際刑事裁判所ローマ規程 でも強制売春のほとんどは性的奴隷の状態であり「人道に対する罪」に当たると定義されている。

*2:慰安問題否定論者の一例:池田信夫「問題があるとすれば、日本軍が韓国女性を暴力で連行した事実が判明した場合だけだ。」(2012年08月22日http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51805918.html)。片山さつき「争点となっているのは、これらの慰安婦のうち、韓国人の慰安婦が、日本軍によって強制連行されたか否か、です。」(2011年09月25日http://satsuki-katayama.livedoor.biz/archives/6092006.html)。

2007年の自爆劇を繰り返す安倍晋三

安倍晋三が2007年の自爆に懲りず、また談話の書き換えをくわだてています。以前ブコメでも書いたことですが、1993年の河野談話も1995年の村山談話も、日本が起こした戦争によって被害を受けた人々の怒りへの謝罪と反省であるわけです。被害者の多くが死んでいくのを待っていたかのように今頃こうして書き換えをくわだてるってのは、非常にえげつない行為だと思う。


いくつか報道をメモしておく。


■2013/1/6 米、日本政府の歴史認識見直しをけん制 - 日経新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS05001_V00C13A1PE8000/

【ワシントン=中山真】オバマ米政権が日本政府に対し、旧日本軍の従軍慰安婦の強制連行を事実上認めた「河野談話」など過去の歴史認識の見直しに関して慎重な対応を求めていたことが分かった。見直しは韓国や中国など近隣諸国と日本の関係の深刻な悪化につながりかねず、オバマ政権が重視するアジア太平洋地域の安定などにも悪影響を与えるとみているためだ。

 米側は昨年末、複数の日本政府高官にこうした意向を伝えた。オバマ政権高官は日本経済新聞の取材に「特に『河野談話』を見直すことになれば米政府として何らかの具体的な対応をせざるをえない」と述べ、正式な懸念を示す声明の発出などの可能性に言及。談話の見直しの動きを強くけん制した格好だ。

 安倍内閣は日本による過去の植民地支配と侵略を謝罪した1995年の村山富市首相談話を引き継ぐ一方、「21世紀の未来志向」をうたう新たな首相談話を検討する有識者会議を設ける方針。「河野談話」についても菅義偉官房長官が「政治、外交問題にするつもりはない」とする一方で、踏襲するかどうかを明言しなかった。

dwnrvrさんのブコメ
価値観外交」なんて語で気炎上げてる人達に限って、欧米が立脚する「価値観」では戦前日本美化が否定項の側に位置するのをわかってないからな。中韓が反発するから、って事だけで言ってないんだよこれ。



■Jan 5th 2013 2013年1月5日
The Economist」英国「エコノミスト」誌

Japan’s new cabinet
Back to the future
日本の新しい内閣の未来は過去に逆戻り
Shinzo Abe's appointment of a scarily right-wing cabinet bodes ill for the region
恐ろしいほどに右翼的な安倍内閣は、地域にとって悪い兆候
http://www.economist.com/news/asia/21569046-shinzo-abes-appointment-scarily-right-wing-cabinet-bodes-ill-region-back-future

ON DECEMBER 26th the new prime minister of Japan, Shinzo Abe, unveiled his cabinet. Mr Abe, an arch-nationalist, promises to focus on turning round an economy enduring its third recession in five years. He says he has learnt from his disastrous first term as prime minister, in 2006-07, when economic policymaking was distracted by needless spats over wartime guilt, and by a gaff-prone cabinet.
12月26日、日本の新しい首相、安倍晋三氏は内閣を発表した。安倍氏は前回の第一期内閣(2006-07)での経済政策が戦時中の罪悪に関する不必要な発言で悲惨な事態を招いた経験から学んだと述べ、不況が続く経済を好転させることに集中すると約束した。
The question is whether Mr Abe (pictured, centre) can keep the government on-message. In picking his 19-member cabinet he has given reason to doubt that, in the long run, he even wants to.
しかし選ばれた19名の閣僚メンバーをみると長期的には疑う理由を与えている。
Consider the following. Fourteen in the cabinet belong to the League for Going to Worship Together at Yasukuni, a controversial Tokyo shrine that honours leaders executed for war crimes. Thirteen support Nihon Kaigi, a nationalist think-tank that advocates a return to “traditional values” and rejects Japan’s “apology diplomacy” for its wartime misdeeds. Nine belong to a parliamentary association that wants the teaching of history in schools to give a better gloss to Japan’s militarist era. They deny most of Japan’s wartime atrocities.
安倍内閣のうち14名の閣僚は「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会議員連盟に所属している。
13名は「日本会議」("伝統的な価値観"への回帰を提唱し、戦時中の悪行による"謝罪外交"を拒絶する国家主義者のシンクタンク)に所属している。
9名は学校での歴史教育に、日本の軍国主義時代に栄光を与えることを望む国会議員の会に所属している。彼らは、日本の戦争犯罪のほとんどを否定する。

The line-up includes Hakubun Shimomura, the new education minister, who wants to rescind not just the landmark 1995 “Murayama statement”, expressing remorse to Asia for Japan’s atrocities, but even annul the verdicts of the war-crimes trials in Tokyo in 1946-48.
新しく任命された文部科学大臣下村博文氏は、日本のアジアへの残虐行為を反省した画期的な村山談話の取り消しだけでなく、東京裁判の判決を無効にすることすら望んでいる。
Mr Abe has made no secret of his wish to revise three of the country’s basic modern charters: the American-imposed constitution of 1946, committing Japan to pacifism; the education law, which Mr Abe thinks undervalues patriotism; and the security treaty with the United States, under which Japan plays a junior role. To describe the new government as “conservative” hardly captures its true character. This is a cabinet of radical nationalists.
安倍氏は現行の日本の基本をなす憲章の3つを変更する望みを隠していない。
その3つとは、1946年、アメリカが日本に平和主義の履行を課した憲法であり、安倍氏愛国心を過小評価すると考える教育法であり、日本がアメリカの従属的な役割を担う安全保障条約である。
新しい安倍内閣を「保守的」と言うことは、その本当の性格をほとんど捕えていない。この内閣は急進的な(過激な)国家主義者によって構成された内閣だからだ。

But what do the voters want?
しかし有権者は何を望んでいるのか?

Mr Abe knows that few ordinary Japanese share his appetite for a root-and-branch makeover of the nation’s post-war architecture. He therefore has good reasons to focus on the economy in the coming months. His Liberal Democratic Party (LDP) and its junior partner, New Komeito, triumphed in December’s general election, winning two-thirds of the seats of the lower house of the Diet, Japan’s parliament. Elections take place in July for the upper house, now controlled by the opposition, led by the Democratic Party of Japan (DPJ). Though voters have shown themselves nothing if not volatile, solid economic management could win Mr Abe the upper house, too. He would then have the strongest governing mandate in years.

安倍氏は、日本の戦後構造を完全に改造する欲求を共有する普通の日本人はほとんどないことを知っている。したがって、今後、数ヶ月は経済に専心することになるだろう。彼の率いる自民党と連立を組む公明党は12月の総選挙で勝利し、衆議院で3分の2の議席を占めることに成功している。参議院は、現在野党・民主党にリードされコントロールされているが、7月に選挙がある。有権者は自分たちの意見表示はしていないが、安定した経済運営が行われれば、安倍氏参院をも勝ち取ることができるだろう。そうすれば、彼はここ数年来で最も強い支配権力を持つことになる。

For the moment Mr Abe is trying hard to kick-start the economy. He is pressing the Bank of Japan to introduce a 2% inflation target as a way to jolt Japan out of its long deflationary funk. And he has instructed the new finance minister, Taro Aso, to come up with a new fiscal stimulus, regardless of set borrowing limits. Mr Aso, a former prime minister himself, may be one of the few politicians with the clout to overcome the bureaucrats at the Ministry of Finance, who will be appalled by any extravagance―the national debt already stands at over 200% of GDP. Mr Abe denies that this is a return to the big-spending days of past LDP governments, which were addicted to construction and public works. But he has yet to show how new spending will be any better than the old sort. The risk is that, at some point, new borrowing will spark a sudden, sharp rise in the interest rates the government has to pay on its debt.
現在のところ安倍氏は景気に弾みをつけるために努力している。長期デフレから日本を脱却させる道として日銀に対し2%のインフレ目標設定を強く求めている。財務大臣麻生太郎に対し貸借制限なしの新しい金融刺激策をつくるよう指示した。自らも元首相である麻生氏は、国債借款がすでにGDPの200%を超える現在、いかなる浪費にも唖然とするであろう財務省官僚に打ち勝つ数少ない政治家のひとりかもしれない安倍氏は建設と公共事業におぼれていた過去の自民党の大型消費の時代とは違うと否定している。しかし安倍氏は新しい金遣いが昔のやり口よりどれほどよいのかは示せていない。新しい借款がある時点で突然、鋭い上昇カーブで高利子となり、政府の果たすべき負債返済に影響する危険リスクがある。
So far, investors are giving Mr Abe the benefit of the doubt, partly because his bashing of the central bank has helped drive down the value of the yen. The stockmarket is now higher than when the earthquake and tsunami struck on March 11th 2011. Investors expect that the LDP, the party supported by power utilities and manufacturers of nuclear equipment, will face down anti-nuclear protesters and switch the country’s idle reactors back on.
これまでのところ投資家たちは安倍氏に対する疑問点を有利に解釈しており、それは彼の中央銀行叩きが円安を助けているからでもある。株式市場は現在、2011年3月11日の地震津波のころより高値をつけている。投資家たちはエネルギー公共事業や核関連機器の製造業に支持される自民党が、反原発運動を意気沮喪させ、停止している原発装置にスイッチを入れることを期待している。
Abroad, Mr Abe shows signs of wanting to tread carefully, at least until the upper-house elections. A former defence minister, Fukushiro Nukaga, is due to visit Seoul on January 4th to meet South Korea’s president-elect, Park Geun-hye (see article)―a welcome attempt to mend ties frayed by disputes over islands known as Dokdo in Korea and Takeshima in Japan.
海外では、安倍氏は少なくとも参議院選挙までは、慎重に物事を進めていくだろうと見られている。元防衛大臣額賀福志郎氏が1月4日ソウルを訪問して韓国大統領に選出された朴氏と会談することになっており、これは日本では竹島、韓国では独島と呼ばれる島をめぐる論争で怪しくなった関係修復にとって歓迎すべきである。

Mr Abe has also promised to strengthen security ties with America that were not always smooth under DPJ rule. They would, he said on taking office, be “the first step in turning Japan’s foreign and security policy around”. Inevitably, China bristled. The China Daily, an official newspaper, warned that using the alliance to apply pressure to China will “only aggravate” tensions in the East China Sea over disputed islands known to the Japanese as the Senkakus and to the Chinese as the Diaoyus. Mr Abe has offered no peace-pipe to the Chinese government, only stiff promises to defend Japanese territory. These follow the scrambling of eight fighter jets to intercept a Chinese surveillance aeroplane that flew over the Senkakus last month, the first Chinese incursion into Japanese-controlled airspace since records began in 1958.
安倍氏はまた、民主党政権下では必ずしもスムーズだとは限らなかったアメリカとの安全保障関係を強めると約束した。安倍氏は就任の日に「日本の外交・安全政策の転換がまず最初の一歩」になるだろうと述べた。しかしこれは必然的に中国を逆立たせた。
チャイナデーリー(官報)は、日米同盟を中国に圧力を加えるために使用するなら東シナ海の日本名・尖閣諸島、中国名・魚釣島として知られる係争中の島々をめぐる緊張を「悪化させるだろう」と警告した。
安倍氏は中国政府に対して日本の領土を守るとだけ述べ、平和のパイプを提示しなかった。
これには先月、中国の偵察機尖閣諸島上空を飛行した(記録では1958年から始まって以来、最初の日本の領空への侵入であった)のを迎撃するジェット機8機がスクランブル発進したという経緯がある。
Mr Abe must hold his nerve on China, but rein in his own nationalist instincts, and keep the ghosts of the past locked safely in the LDP’s cellar. Such restraint would always have been difficult; Mr Abe’s new cabinet makes it almost impossible.
安倍氏は中国に神経を向けなければならなく、自分の国家主義者としての本能を抑制し、自民党の過去の亡霊たちを地下室に閉まっておかなければならないが、しかしそのような抑制は困難であり、この新しい内閣では無理だろう。


■NYTimes ニューヨーク・タイムズ 
EDITORIAL 社説
Another Attempt to Deny Japan’s History
日本の歴史を否定する更なる試み
Published: January 2, 2013
(原文)http://www.nytimes.com/2013/01/03/opinion/another-attempt-to-deny-japans-history.html
↓ブログ「Peace Philosophy Centre」さんによる、安倍晋三の「恥ずべき衝動」を批判したNYT紙の社説全文の和訳。
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2013/01/new-york-times-editorial-criticizes-abe.html

アジアの安定のために、日韓関係ほど大事なものは他にあまりない。安倍晋三は今回の任期を、韓国との緊張を炎上させ協力をより難しくする深刻な過ちでスタートさせようとしているようだ。彼は、朝鮮半島や他の地域の女性たちを性奴隷として使ったことを含む、第二次世界大戦中の日本の加害に対する謝罪を書き直そうする動きを見せている。

1993年に日本は、何千、何万、または何十万の(訳者注:原文では thousands となっている。thousands は、「何千」単位から「何十万」単位までをカバーする)アジアとヨーロッパの女性たちを軍の慰安所で強姦し奴隷化したことをようやく認め、このような残虐行為に対して初めての完全な謝罪を行った(訳者注:「河野談話」のこと)。1995年には村山富市首相がもっと広範囲にわたる謝罪を行い、「植民地支配と侵略によって」、日本は「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を」与えたと認めた。

右翼ナショナリスト安倍氏は、産経新聞のインタビューに応じ、特定はしなかったが「未来志向の談話」によって1995年の謝罪と入れ替えたいと言い、ロイター通信に月曜日に引用された。彼は前安倍政権(2006−2007年)は、戦時中日本軍の性奴隷となった女性たちが実際強制されていたという証拠は全く見つからなかったと言った。しかし先週の記者会見で、菅義偉官房長官は、安倍氏は1995年の謝罪は維持するが、1993年の談話は見直すかもしれないと述べていた。

自民党のリーダーである安倍氏がどのようにこれらの謝罪を修正するのかは明らかになっていないが、彼はこれまで、日本の戦時史を書き換えることを切望していることを全然秘密にはしてこなかった。こういった犯罪を否定し、謝罪を薄めるようなどのような試みも、日本の戦時中の残忍な支配に被害を受けた韓国、そして、中国やフィリピンをも激怒させることであろう。

安倍氏の恥ずべき衝動的行為は、北朝鮮核兵器プログラム等の諸問題において、地域における大切な協力関係を脅かすものになりかねない。このような修正主義は、歴史を歪曲することよりも、長い経済不況からの回復に集中しなければいけないこの国にとって、恥ずかしいことである。



2007年3月6日、安倍首相(当時)の「軍による強制はなかった」発言に抗議するフィリピンの「慰安婦」被害者たち。

プラカードには、「I was RAPED!PM SINZO ABE LIAR!! 私は強姦された 安倍総理は嘘吐き」「I was FORCED by THE JAPANESE SOLDIER During WWⅡ ! 私は第二次世界大戦のあいだ日本軍人によって強制された」の文字。

日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態


慰安所の前で巻脚絆(ゲートル)を外し順番を待つ兵士たち 場所:中国、時期:1938年頃
出典:村瀬守保写真集『私の従軍中国戦線 一兵士が写した戦場の記録』(初出:日本機関紙出版センター,1987年)新版:2005年


慰安婦は「自発的に応募した」「自由意志だった」「強制ではない」、さらには軍や警察は「違法な業者を厳しく取り締まっていた」等々、慰安婦問題を否定する人々によって熱心に宣伝されているデマがありますが、そうした人々が無視している資料に、元日本軍将兵・軍属が手記や証言のなかで慰安婦に言及している口述資料というものがいくつも存在します。
それら口述資料*1を用いて個々の事例を考察していきます。


以下、 引用文の中略には「……」を入れています。強調、改行は引用者によります。


最初に紹介する証言は、秦郁彦氏が著書『慰安婦と戦場の性』のなかで「信頼性が高いと判断してえらんだ」もののひとつです。


第五十九師団(済南駐屯)の伍長・榎本正代の証言
場所:中国中部の山東

 一九四一年のある日、国防婦人会による〈大陸慰問団〉という日本人女性二百人がやってきた……(慰問品を届け)カッポウ着姿も軽やかに、部隊の炊事手伝いなどをして帰るのだといわれたが……皇軍相手の売春婦にさせられた。“目的はちがったけど、こんなに遠くに来てしまったからには仕方ないわ”が彼女らのよくこぼすグチであった。将校クラブにも、九州の女学校を出たばかりで、事務員の募集に応じたら慰安婦にさせられたと泣く女性がいた
秦郁彦慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.382)


この証言について歴史研究者の永井和教授は論文『日本軍の慰安所政策について 日本軍の慰安所政策について』の中で次のように述べています。

 この例も、話が事実なら、同様に国外誘拐罪、国外移送罪(当時の刑法はこちらを参照*2)の被害者である。内務省警保局長通牒の基準が厳格に守られていたのであれば、こういう例は未然に防止されたはずである。しかしながら、未然に防止されるどころか、事後においても被害者が救済されたり、犯罪事件が告発された形跡がない。女性を送り出す地域の警察も、送られてきた側で軍慰安所を管理していた軍も、いずれもこのような犯罪行為に何ら手を打っていないのである。
 軍慰安所の維持のためにはやむをえない必要悪だとして、組織的に「見て見ぬふり」をしなければ、とうていこのようことはおこりえないはずである。
 一九三七年末から一九三八年初めにかけて軍慰安所が軍の後方組織として認知されたことにより、事実上刑法旧第二二六条はザル法と化す道が開かれたのだといってよい。それは警保局長通牒が空文化したことを意味する。


論文に出てくる『内務省警保局長通牒(原文はこちらを参照*3)』には、現在の警察庁長官に相当する内務省警保局長から全国の各庁府県長官宛に出された通牒『支那渡航婦女の取扱に関する件』 (1938年2月23日)というものがあります。
この通牒は「婦女・児童の売買を禁止する国際条約*4」(未成年の女性を売春に従事させることを禁止し、成年であっても、詐欺(誘拐)などによる強制的手段が介在していれば刑事罰に問われることを定めた国際条約。)に接触しないよう指示した箇所があるのですが、初めから「北支、中支方面に向ふ者に限り当分の間之を黙認」して出国に必要な「身分証明を付与」すると抜け穴が作られているのです。
さらにこの通牒は日本国内に限定されたもので、朝鮮・台湾といった植民地では出されていないのです。そのため植民地からは未成年の女性たちが制限無しに国外に誘拐・拉致、人身売買といった強制的手段で連れて行かれたと考えられています。



長尾和郎『関東軍軍隊日記 - 一兵士の生と死と』経済往来社,1968年
関東軍兵士の記録、場所:中国東北部黒竜江省

 東満の東寧(とうねい)の町にも、朝鮮女性の施設が町はずれにあった。その数は知る由もなかったが、朝鮮女性ばかりではなく日本女性も…… (一般兵用)施設は藁筵(むしろ)でかこまれた粗末な小屋で、三畳ぐらいの板の間にせんべい布団を敷き、その上に仰向けになった女性の姿を見たとき、私の心には小さなヒューマニズムが燃えた。一日に何人の兵隊と営業するのか。外に列を作っている兵隊たちを一人一人殴りつけてやりたい義憤めいた衝動を覚え、その場を立ち去った。
 これらの朝鮮女性は「従軍看護婦募集」の体裁のいい広告につられてかき集められたため、施設で営業するとは思ってもいなかったという。それが満州各地に送りこまれて、いわば兵士達の排泄処理の道具に身を落とす運命になった。わたしは甘い感傷家であったかもしれないが、戦争に挑む人間という動物の排泄処理には、心底から幻滅を覚えた。……
 おれは東京の吉原、洲崎の悪所は体験済みだが、東寧の慰安婦はご免だ。あれじゃ人体でなく排泄装置の部分品みたいなものだが、伊藤上等兵も同感する。


「東満」地域とは、1943年10月1日、満州国にかつて存在した3省、牡丹江・間島・東安を総括し設置された「東満総省」の地域を指し、「洲崎」とは現在の江東区東陽町にかつてあった遊郭街のことです。

この慰安所にいた朝鮮人女性たちは「従軍看護婦」の「募集」だと騙されて国外に連れて行かれています。これは当時でも誘拐・拉致という犯罪で刑法第226条に違反しているのですが、女性たちの身元も調査しているはずの軍の方で送り返すなどした様子もなく、女性たちは軍の管理下にある慰安所で軍人の性の相手を強要されています。
また、当時この兵士は、慰安所のあまりに人権が無視されている状況に「義憤めいた衝動を覚え」「外に列を作っている兵隊たちを一人一人殴りつけてやりたい」と感じたと書いています。この後でも紹介するように、慰安婦の状況を非人道的だと感じた日本軍将兵の手記や証言というものはけっして少なくありません。



『私たちと戦争〈2〉戦争体験文集』タイムス,1977年,p.32
島本重三 軍「慰安所
第七三三部隊工兵一等兵の記録、場所:中国東北部吉林省・琿春

 兵隊専用のピー屋(慰安所)は琿春の町に五軒散在していた。一軒の店に十人ほどの女がいた。『兵隊サン、男ニナリナサイ』。朝鮮の女たちは道ばたに出て兵隊を呼びこんでいた。まだ幼い顔の女もまじっていた。
 兵隊の慰問のために働くのは立派なことで、その上に金をもうけられると誘われ、遠い所までつれてこられた。気がついたときは帰るにも帰れず、彼女らは飢えた兵隊の餌食として躯(からだ)を投げださねばならなかった。
 日曜日にはけだものとなった兵隊を相手に少しも休むまもなかった。まだ終らないうちから次の兵隊が戸を叩いてせかした。ベニヤ板張りの小さな部屋には、貧弱な鏡台とトランクがあった。それが彼女の全財産であった。
 せんべい布団を被ううす汚れた敷布には、解剖台のような気味の悪い血がしみついていた。生理のときも休むことを許されず、働かねばならない女たちであった。


「まだ幼い顔のまじった」朝鮮人の女性たちは騙されて国外に連れて行かれており、刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪などに当たり、国際条約にも違反している可能性が高いのです。しかし慰安所を管理する軍はここでも業者を不処罰としており、女性たちを送り返した様子がありません。



土金冨之助『シンガポールへの道〈下〉- ある近衛兵の記録』創芸社,1977年
スマトラパレンバン憲兵軍曹として慰安所に関わった憲兵の記録、場所:インドネシアスマトラ島

 (慰安所に)巡回で出入りしているうちに、私はK子とY子という朝鮮の女性(この建物は全部朝鮮出身)とよく話をするようになった。……K子は年もまだ一八とか一九歳といっていた。……
 私が一人で行ったある日、彼女は「私達は好き好んで、こんな商売に入ったのではないのです。」と、述懐するように溜息を吐きながら語った。「私達は、朝鮮で従軍看護婦、女子挺身隊、女子勤労奉仕隊という名目で狩り出されたのです。だからまさか慰安婦になんかさせられるとは、誰も思っていなかった。外地へ輸送されてから、初めて慰安婦であることを聞かさた。
 彼女等が、初めてこういう商売をするのだと知った時、どんなに驚き、嘆いたことだろうと考えると気の毒でならない。……彼女の頬には、小さな雫が光っていた。……
 将兵達はこのような事情を知っているのだろうか、いや知る必要はなかった。なまじ知っては楽しく遊べなくなるだろう。金儲けに来ているんだぐらいにしか理解していない者が多いと思う。


ここで詐欺(誘拐)の名目に使われている「女子挺身隊」とは、昭和19年の女子挺身勤労令による女子挺身隊のことではなく、当時の朝鮮で、未婚女性が国(軍)のために勤労報国するという意味で使われた「女子挺身隊」のことだと思われます(こちらを参照*5)。
そしてまた、慰安婦にされた女性たちと慰安所を利用する将兵たちとの認識のギャップが当時から強く存在していたことがわかります。
当時18、19歳の女性が過去の出来事を語っているということは、騙されて連れて行かれた時期は1、2年さかのぼり年齢は16、17歳頃だったろうと推測できますが、このケースも国際条約違反、刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪などに当たります。
ここでも軍の方で取り締まった様子はまったくありません。



菅野茂『7%の運命 - 東部ニューギニア戦線 密林からの生還』光人社,2005年
ウェワクからラバウルに帰還した兵士の記録

 帰途ラバウルの街の慰安所に寄った。……メインストリートの街路樹の下で船から下りたばかりと思われる女たちの一団(十五、六名)が休息していた。大勢の兵隊がもの珍しそうにその兵隊たちの中にY軍曹と運転手のE上等兵の姿があったので、私たちが近寄ると、「あの娘たちは、海軍の軍属を志願したそうだが、だまされて連れてこられたらしい。あの娘は富山の浴場の娘だと上等兵は、指差しながら、気の毒そうに私たちの耳元でささやいた。
 なるほど言われてみると、どの娘も暗く沈んだ表情。ろくに化粧もなく、どう見ても巷で働く女たちではなかった。炎天の中に和服を着て柳行李を持っている姿が、一層いたましく写った。男も女も滅私奉公の時代である。だが、私には割り切れなかった。こんなことが公然と行われてよいのだろうか。私は胸に噴き上げるものを抑えながらその場を去った。


この日本人女性たちは就業詐欺(誘拐)など強制的手段で連れて行かれており、こうした犯罪の事例を刑事罰に問うことを定めていた国際条約(婦女・児童の売買を禁止する国際条約)にも違反しています。
また15、6名もの女性たちの一団が違法な方法で集められていることを警察が黙認し渡航に必要な身分証明書を発給していたことになります。「警察が厳しく取り締まっていた」のならこうしたことは起こり得ないはずです。
そしてこのケースも刑法第226条に違反しており、軍が違法な状態で集められた女性たちを軍用船で輸送していたのなら国外移送罪に該当しますし、移送されてきた女性たちを慰安所の設置と管理をしていた兵站担当の将兵が収受していた場合は刑法第227条にも違反します。
しかし、ここでも軍の方で犯罪として認識している様子はありません。この女性たちはその後どうなったのでしょう。


ニューブリテン島・ココポの陸軍「慰安所」に行列をつくり並ぶ兵士たち、時期:1943年末頃
出典:水木しげる『総員玉砕せよ!』講談社,1995年,p.14


1943年末頃にラバウル近郊のココポ(ココボ)にあった慰安所のことを、水木しげる氏が回想しています。

「日本のピー(日本人慰安婦)の前には百人くらい、ナワピー(沖縄出身)は九十人くらい、朝鮮ピーは八十人くらいだった。」(『本日の水木サン - 思わず心がゆるむ名言366日』草思社,2005年)
「彼女たちは徴兵されて無理矢理つれてこられて、兵隊と同じような劣悪な待遇なので、みるからにかわいそうな気がした。」(『水木しげるラバウル戦記』筑摩書房,1994年)


慰安所はまさに地獄の場所だった」…水木しげるhttp://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-167.htmlより)


水木しげる氏も彼女たちが慰安婦になるために「自由意志で自発的に応募した」とは認識していないようです。



長沢健一『漢口慰安所』図書出版社,1983年
軍医の記録、日本から騙されて連れてこられた女性について。場所:中国中部・湖北省武漢

 赤茶けた髪、黒い顔、畑からそのまま連れてきたような女は、なまりの強い言葉でなきじゃくりながら、私は慰安所というところで兵隊さんを慰めてあげるのだと聞いてきたのに、こんなところで、こんなことをさせられると知らなかった。帰りたい、帰らせてくれといい、またせき上げて泣く……

(契約書は一般に)はじめに借用証文、次の行に、一、何千円也、ついで右借用候也、右の金額は酌婦稼業により支払うべく候也と書かれ……


これも騙され連れて行かれたケースです。歴史研究者の吉見義明教授はこのケースについて次のように述べています。

 慰安所で働くということは聞いているけれど、慰安所とは何かは聞かされていない。だまされて連れてこられたので、誘拐された女性ということになります。それから、あとのほうでは重い借金を負っていると書かれているので、人身売買でもあります。しかし、この女性が日本から誘拐され、人身売買により連れて来られているにも関わらず、軍はこの女性を解放せずにそのまま慰安所に入れるわけです。連れてきた業者はもちろん逮捕されていない。これは、こういうことが一 般的に行われていた、ということを示すものではないでしょうか


慰安婦問題に関する吉見義明教授の講演 文字起こし:http://www.ianfu-kansai-net.org/2012-10-23.html『2. 朝鮮・台湾では、軍または総督府が業者を選定し、業者が誘拐や人身売買などにより連行した。これも強制連行。』【資料4】より

吉見教授はさらに戦前の日本においても契約書に書かれている「右の金額は酌婦稼業により支払う」という「売春によって借金を返させるという」契約は「民法90条違反だった」ことを指摘しています。



小俣行男『戦場と記者 - 日華事変、太平洋戦争従軍記』冬樹社,1967年
読売新聞の従軍記者・小俣行男の記録、1942年5月か6月頃、場所:ビルマ

 (朝到着した貨物船で、朝鮮の女が四、五十名上陸したと聞き、彼女らの宿舎にのりこんだとき)私の相手になったのは23、4歳の女だった。日本語は上手かった。公学校で先生をしていたと言った。「学校の先生がどうしてこんなところにやってきたのか」と聞くと、彼女は本当に口惜しそうにこういった。「私たちはだまされたのです。東京の軍需工場へ行くという話しで募集がありました。私は東京に行ってみたかったので、応募しました。仁川沖に泊まっていた船に乗り込んだところ、東京に行かず南へ南へとやってきて、着いたところはシンガポールでした。そこで半分くらいがおろされて、私たちはビルマに連れて来られたのです。歩いて帰るわけに行かず逃げることもできません。私たちはあきらめています。ただ、可哀そうなのは何も知らない娘達です。16、7の娘が8人にいます。この商売は嫌だと泣いています。助ける方法はありませんか
 考えた末に憲兵隊に逃げこんで訴えるという方法を教えたが、憲兵がはたして助けるかどうか自信はなかった。結局、8人の少女は憲兵隊に救いを求めた。憲兵隊は始末に困ったが、将校クラブに勤めるようになったという。しかし、将校クラブがけっして安全なところでないことは戦地の常識である。「その後この少女たちはどうなったろうか」
(『ビルマラングーンの「慰安所」情報』:http://d.hatena.ne.jp/dempax/20070603#p1より)
*将校クラブとは将校専用の慰安所のこと。


この口述資料からは、軍の方で将校クラブを含め各慰安所に配置する慰安婦の人数を決定していたことがわかります。そしてこれも騙されたケースです。
40名から50名に及ぶ女性たちの一団が、同じ日に同じ場所に到着していることから、軍から慰安婦を集めてくるよう指示された業者による大がかりで違法な徴集が朝鮮半島で行われたことは明らかだと思います。
違法な方法で集められた女性たち(16、7歳の未成年者を含む)に身分証明書と出国許可を与えているのは警察です。永井教授が述べているように、軍慰安所の維持のためにはやむをえない必要悪だとして、組織的に「見て見ぬふり」をしなければ、とうていこのようことはおこりえないはずです。
そしてこのケースもやはり刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪、さらに刑法第227条にも違反しています。しかし、軍の方で違法な契約を破棄させ16、7歳の未成年者を含む女性達を送り返そうとした様子はありません。ここでも軍は業者を不処罰とし犯罪を黙認してしまっています。



『こんな日々があった戦争の記録』出版:上越よい映画を観る会,1995年
須藤友三郎「インドネシアで見た侵略戦争の実態」
1943年以降、北スマトラにいた兵士の記録、コタラジャの慰安所

 スマトラ島の最北端にコタラジャという町があります。私たちは最初ここに上陸し駐屯しました。この町には当時日本軍の「慰安所」があり、朝鮮人の女性が二十名程、接客を強制させられていました。みんな二十才前後と思われる農村出身の人たちでした。「慰安所」の建物は、ベニヤ板で囲った急ごしらえのもので、周囲は有刺鉄線が張りめぐらされ、女性たちが逃亡できないよう看守づきのものでした。……
 「慰安婦」の話によると、当時の朝鮮の農村は貧乏でした。その弱みにつけ込んで、一人当たり二十円程度の前渡金をもってきて、「日本本土の工場労働者になってもらいたい」と親をダマし、徴用されたというのです。ところが船に乗ると日本本土どころか南方に連れてこられ、しかも突然日本軍の将校にムリヤリ売春を強制させられたと、涙を流して「悔しい」と泣いていました。
 しばらくして今度は農村の椰子林の中にまた「慰安所」ができました。ここには、インドネシア若い女性が十名程収容されていました。この人たちの話によると、ジャワ島の農村から、朝鮮人の女性と同じようなやり方で連れてこられたと憤慨していました。


女性が逃亡しないよう監視されていたことは、慰安婦にされた多くの女性たちの証言と符合します。そして、「周囲は有刺鉄線が張りめぐらされ」ていることから軍の施設内に「急ごしらえの」バラックを建てそこを慰安所にしていたのではないかと推測できます。
また、女性たちがインドネシアまで連れて行かれるまでには、朝鮮半島で、軍や総督府が選定した業者が違法な方法で女性たちを集めたことを警察が黙認しなければ出国許可は下りていないはずです。1人2人でなく20人近くもの女性たちなわけですから、うっかり見逃すというのは考えにくい。
さらに軍は軍用船の乗船許可を与え女性を移送し、現地では憲兵兵站担当の将兵などが受領しますが、その際も身元調査などを行っているはずなのに軍が女性たちを送り返し業者を罰するなどをしていないのです(刑法第226条、刑法第227条に違反)。
こうした事例を見ていくと、日本政府や警察は「違法な業者を厳しく取り締まっていた」という否定論者の主張が、まったくのデタラメであるとわかります。



伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史 - 兵営と戦場生活』番町書房,1969年,p.212
1938年に入隊した作家の伊藤桂一の記録、場所:中国

 兵隊と、なんらかの意味で接触する女性は、慰安婦のほかには、中国民衆(つまりその土地の住民)、在留邦人、慰問団、それに看護婦くらいなものだろう。このうち、慰安婦がいちばん兵隊の役に立ってくれていることは事実だが、慰安婦も多くは、欺(だま)されて連れて来られたのである。

伊藤桂一『戦旅の手帳』光人社,1986年

 騙すのは、看護婦にする、というのと、食堂の給仕にする、というのとつまり肉体的供与を条件とせず連れて行って、現場に着いたら因果を含めたものである。逃げる方法はない。


伊藤桂一氏は、92年に慰安婦が大きく問題化する以前はこのように率直に語っています。近年は保守系雑誌『諸君!』で性奴隷を否定する主張などもしていますが、それでも軍が慰安所を作ったことや慰安婦が軍属扱いだったことなどを語っており*6、元慰安婦の悲惨さも知ってるがゆえに彼女たちに同情的です。ネットで捏造を拡散している人達のように「単なる金ほしさの売春婦だ!」などという誹謗中傷はしていません。



従軍慰安婦110番 - 電話の向こうから歴史の声が』明石書店,1992年,p.54
陸軍パイロットの証言、場所:マレー

 マレーの場合、飛行場は町外れにあったので、町にある慰安所までは、一、二里あります。そこで慰安所に行くときはトラックにギッシリ乗って行きました。中隊ごとに200人ぐらいが外出しました。……「トミコ」という源氏名朝鮮人慰安婦がいましたが、彼女が「私たちは軍属募集され、お国のためと志願してきたのに、裏切られて…もう、国には帰れない」と話していました。この慰安所の経営者は、年配の日本人でした。


これも騙されたケースです。刑法第226条、第227条などに違反する犯罪に当たりますが、ここでも軍及び憲兵が取り締まった様子がありません。



『特集「慰安婦」100人の証言』DAYS JAPAN 2007年6月号,p.16
独立混成第4旅団の兵士、近藤一の証言、場所:中国北部の山西省太原

 大隊本部がある太原には慰安所がありました。……日本人女性は将校専用なので下級兵士は行けません。朝鮮人と中国人の2ヶ所が下級兵士用です。……朝鮮人のところへ行った時には話をしただけでした。彼女は田舎の出身で家が貧しく、お金儲けができるからと日本の工場へ誘われて来たのに、気がついたら慰安所で、結局あきらめざるをえなかったと言っていました。


これも騙されたケースですが、貧困層の女性であり前借金に縛られ連れて来られた可能性が高いと思われます。ここでも軍は管理下にある業者を処罰していません。



山口彦三『ビルマ平原 落日の賦』まつやま書房,1987年
第十八師団の兵士の、日本から騙されて連行されてきた在日・朝鮮人女性についての記録。場所:ビルマミャンマー )、中国・海南島

 第十八師団の兵士が、ビルマのメイミョーの公光荘という軍慰安所で出会ったマリ子という日本名をもつ朝鮮人慰安婦から聞いた話によれば、彼女は、下関に住んでいたとき対馬陸軍病院で雑役婦を募集しているから行かないか」という話を聞き、紹介人が朝鮮人の産婆で信用できる人なので応募したら、約一〇〇名の女性と一緒に海南島の軍慰安所に送り込まれたという。
(吉見義明『従軍慰安婦岩波新書,1995年,p.91より重引用)


これも騙されたケースで、国際条約や刑法第226条及び刑法第227条に違反しています。



輜重兵第三二連隊第一中隊 戦友会 八木会編『我らの軍隊生活』
カリマンタン・タラカンにいた同中隊の戦中記に記された兵士の記録。時期:1944年

 慰安婦は三十名余りおり、その中の一人に源子名(ママ)を清子(本名リナー)と名乗る十八才の若い娘を知り、よく遊びに行った。彼女らはセレベス島のメナドから、東印度水産会社の事務員にすると騙(だま)されて、ガレラに連れてこられ、慰安婦にさせられたそうである。彼女らの女学生時代のセーラ服姿の写真を見せられたが、日本の女学生と同じ服装で、メナド人はミナハサ族といって色白で、日本人によく似た顔立ちで美人であった。彼女らは当時としては高等教育を受けた良家の子女達であった。

(『皇軍慰安所とおんなたち』吉川弘文館,2000年,p.118、『従軍慰安婦岩波新書,pp.123-124、「戦争体験記・部隊史にみる『従軍慰安婦』」季刊 戦争責任研究 第5号、94年秋季。より重引用)


これは日本内地や植民地から連行されたケースではなく、インドネシアで騙しによる誘拐によって慰安婦を強制されたケースですが、軍の方で当時、犯罪と認識している様子がありません。



河東三郎『ある軍属の物語 - 草津の墓碑銘』(初出:新読書社,1967年)日本図書センター,1992年
海軍軍属設営隊員の河東三郎の記録、場所:インド領ニコバル諸島

 一九四三年秋、(ニコバル島に)内地から慰安婦が四人来たというニュースが入り、ある日、班長から慰安券と鉄カブト(サック)と消毒薬が渡され、集団で老夫婦の経営する慰安所へ行った。順番を待ち入った四号室の女は美人で、二十二、三歳に見えた。あとで聞いたが、戦地に行くと無試験で看護婦になれるとだまされ、わかって彼女らは泣きわめいたという
秦郁彦慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.386より重引用)


これも騙されたケースです。刑法第226条の国外移送目的誘拐罪、国外移送罪などに当たりますが、ここでも取り締まった様子はありません。



鈴木卓四郎『憲兵下士官新人物往来社,1974年,pp.91-93
鈴木卓四郎憲兵曹長(南支・南寧憲兵隊)の証言

 一九四〇年夏の南寧占領直後に〈陸軍慰安所北江郷〉と看板をかかげた民家改造の粗末な慰安所を毎日のように巡察した。十数人の若い朝鮮人酌婦をかかえた経営者黄は〈田舎の小学校の先生を思わせる青年〉で、地主の二男坊で小作人の娘たちをつれて渡航してきたとのこと。契約は陸軍直轄の喫茶店、食堂とのことだったが、〈兄さん〉としたう若い子に売春を強いねばならぬ責任を深く感じているようだった
秦郁彦慰安婦と戦場の性』新潮社,1999年,p.383より重引用)


軍から「契約は陸軍直轄の喫茶店、食堂」とのことで女性を集めた朝鮮人の業者自身が騙されていたと思われるケースです。



鹿野正伍『ある水兵の戦記』光風社,1978年
海軍所属の兵士・鹿野正伍の記録。場所:トラック諸島の夏島(現ミクロネシア・チューク諸島)

 (夏島の慰安所で)妓に内地に手紙を出してくれと頼まれた。「助けると思って、中を読んでください。騙されて連れてこられました」妓は掌(てのひら)を合わせた。媚びた感じではない。妓の目尻に光るものがみられた。

『海を越える一〇〇年の記憶』図書新聞,2011年
松原勝「軍による『慰安所』管理は紛れもない事実」pp.109-127
1942年、第4海軍施設部軍属としてトラック諸島の夏島へ派遣された軍属の記録

― その夏島に「慰安所」があったのですね。

松原 南國寮と南星寮の二か所、同じような規模でね。(夏島の地図を指し示しながら)このチョンチョン橋を渡って海岸の方へ 出て左折すると四経、四施とあるでしょ、その先に三棟ほどの南國寮がありました。

 源氏名でみどりさんという人がいてね、当時22歳っていってました。だまされてこんな所に連れてこられたってね。私がそこへ行き泊ると、泊まりを受けなかった女の子たちが3、4人集まってきて、いろいろ話をしてくれました。私はどこどこの出身だけど、親やきょうだいと引き離され、だまされてきたんだというわけですよ。人によってはね、子どもや夫にも引き離されてきたんだと泣いて訴えるわけです。高級将校のメイドにならないかとか、海軍病院の雑役の仕事だとか、30円くらいの月給で食事も泊まる所もただだから1年くらいこないかとね。でも、ここへ連れてこられて初めて仕事を知って心が裂けるように思ったと。ひどい話で、日に10人もの相手をさせられるとも言ってました。僕が第四海軍施設部の職員だと知っていたし、若かったからね、気を許していろいろなことを話してくれました。

 トラック島の「慰安婦」は、朝鮮の女性がほとんどでしてね、私の叔母が朝鮮の方と結婚しているということや学生のころ朝鮮人の知り合いもいて、朝鮮人には特別な気持ちを持っていたことも関係していると思いますね。
http://194586245.web.fc2.com/18.htmlより)


このケースも刑法第226条に違反した犯罪ですが、朝鮮半島を出国する際には警察が身分証を発給し出国の許可を与え、トラック諸島まではおそらく軍用船で連れて行かれていると思われます。
そして、ここでも女性たちは送り返されることなく軍管理下の慰安所慰安婦になることを強要されています。警察や軍が厳しく取り締まった形跡は何処にもありません。



陸軍通訳の永瀬隆の証言。場所:シンガポール

 シンガポール市街の対岸のブラカンマティ島(現在セントーサ島)に駐留していた陸軍航空の燃料補給廠で通訳として勤務していた永瀬隆氏の証言によると、1942年11月になってから朝鮮人慰安婦12〜13人が送られてきて慰安所が開設された。……氏は朝鮮人慰安婦たちに日本語を教えるように部隊長から命じられたので、その教育にあたった。彼女らと話をしていた時に「通訳さん、聞いてください。私たちはシンガポールのレストラン・ガールということで100 円の支度金をもらってきたが、来てみたら慰安婦にされてしまったと泣きながら訴えたという
林博史マレー半島における日本軍慰安所について」http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper09.htmより)


朝鮮人」の「12〜13人」の女性たちは「レストラン・ガール」と騙されて連れて行かれ慰安婦を強要されています。これも刑法第226条に違反する犯罪ですが、軍の方でそれが犯罪であると認識している様子がありません。



溝部一人 編『独山二』〔独立山砲兵第二連隊の意〕私家版,1983年,p.58
山口時男軍医の1940年8月11日の日記 場所:中国中部
1940年8月、湖北省董市附近の村に駐屯していた独立山砲兵第二連隊は、「慰安所」の開設を決定し、保長や治安維持会長に「慰安婦」の徴募を「依頼」した。その結果、20数名の若い女性が集められたが、その性病検査を担当した軍医は、8月11日の日記に次のように記録している。

 さて、局部の内診となると、ますます恥ずかしがって、なかなか襌子(ズボン)をぬがない。通訳と維持会長が怒鳴りつけてやっとぬがせる。寝台に仰臥位にして触診すると、夢中になって手をひっ掻く。見ると泣いている。部屋を出てからもしばらく泣いていたそうである。
 次の姑娘も同様で、こっちも泣きたいくらいである。みんなもこんな恥ずかしいことは初めての体験であろうし、なにしろ目的が目的なのだから、屈辱感を覚えるのは当然のことであろう。保長や維持会長たちから、村の治安のためと懇々と説得され、泣く泣く来たのであろうか?
 なかには、お金を儲けることができると言われ、応募したものもいるかも知れないが、戦に敗れると惨めなものである。検診している自分も楽しくてやっているのではない。こういう仕事は自分には向かないし、人間性を蹂躙しているという意識が念頭から離れない。
(『日本軍「慰安婦」制度とは何か』岩波書店,2010年,pp.25-26より重引用)


これは中国人女性の事例ですが、中国ではこのように占領した地域の有力者に女性の供出を命じて女性を徴集した事例が多く報告されおり、徴集の形態が日本内地や植民地であった台湾・朝鮮とは異なっていました。
そしてこの軍医は当時の日記に、慰安婦を強いることが「人間性を蹂躙している」と感じ、そうした「意識が念頭から離れない」と苦しい胸の内を書き留めています。
一方、現在の慰安婦問題否定論者の言動から溢れ出す人権感覚はどうでしょうか、戦時中に存在していた人権感覚よりひどい状態にあると言えそうです…。


公文書に記述された慰安婦の強制

『日本人捕虜尋問報告 第49号』1944年
1944年8月10日ごろ、ビルマのミッチナ陥落後の掃討作戦において捕らえられた20名の朝鮮人慰安婦と2名の日本人の周旋業者に対する尋問調書。
場所:ビルマ・ミッチナ(ミャンマー・カチン州)

 1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地――シンガポール――における新生活という将来性であった。このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡し金(前借金)を受け取った。


アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日
http://megalodon.jp/2008-1206-1528-25/members.at.infoseek.co.jp/ash_28/ca_i02_1.html


この資料は歴史修正主義者に都合良くつまみ食いされることが多いのですが、丁寧に読んでいけば、軍から慰安婦の徴集を依頼された日本人の業者が朝鮮半島で騙しによる誘拐と人身売買によって、連行当時17,8歳の未成年を含む女性たち22名を連れて来ていること。そして女性たちが軍の管理下の慰安所で本人に意思に反し性的“慰安”を強要されたことが明らかにされています。



極東国際軍事裁判速記録』10巻・雄松堂書店,1968年,p.186
極東国際軍事裁判東京裁判)の判決 
場所:中国南部の桂林

桂林を占領している間、日本軍は強姦と掠奪のようなあらゆる種類の残虐行為を犯した。工場を設立するという口実で、かれらは女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した


東京裁判の判決文のなかに、日本の軍隊が女性を「女工を募集」と騙して集め「醜業(売春)を強制した」と記述されています。これは軍が女性たちに売春を強制し慰安婦にしていた証拠ですが、ここで重要なのは、このような犯罪行為が当時、軍のなかでなんら問題にされず見過ごされていたということです。


慰安婦」制度が違反しているもの


当時の、刑法第226条、刑法第227条、民法第90条、娼妓取締規則、婦女・児童の売買を禁止する国際条約、強制労働条約 第29号(1930年)、奴隷条約(1926年)など。

ここで取り上げた以外の日本軍将兵の手記や証言記録


日本軍将兵が回想している軍が直接、連行、徴集したケース
http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/gunkyouseirenkou.html
秦郁彦氏が「信頼性が高いと判断してえらんだ」9つの証言の検証など
http://www.geocities.jp/yubiwa_2007/ianfukyousei.html
朝鮮人慰安婦が出てくる戦記、日誌、日記本 - 軍慰安婦を考える会・ホームページ
http://194586245.web.fc2.com/01.html
吉見義明「従軍慰安婦岩波書店
http://sikoken.blog.shinobi.jp/CM/69/1/
従軍慰安婦資料集
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/1794/ianfu.html

引用・参考文献(一部)

私の従軍中国戦線―村瀬守保写真集 一兵士が写した戦場の記録
村瀬 守保
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*1:このエントリは、軍が組織的に慰安所設置を本格化させた1937年末以降に徴集されたと思われる朝鮮人と日本人の慰安婦に言及された口述資料を中心に収集しています

*2:当時の刑法第226条:国外誘拐罪、国外移送罪:http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BD%BE%B7%B3%B0%D6%B0%C2%C9%D8#p2

*3:内務省警保局長通牒」の原文:http://www.bekkoame.ne.jp/~yamadan/mondai/rmal14/react785.html

*4:当時の「婦女・児童の売買を禁止する国際条約」についてはこちらを参照:http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BD%BE%B7%B3%B0%D6%B0%C2%C9%D8#p3

*5:「慰安婦」「挺身隊」「処女供出」 - Stiffmuscle@ianhu - 従軍慰安婦問題を論じる 「慰安婦」「挺身隊」「処女供出」 - Stiffmuscle@ianhu - 従軍慰安婦問題を論じる

*6:2007年8月号『諸君!』「僕が出会った気高き慰安婦たち」:http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-107.html

歴史事実委員会のデマ広告「Yes, We remember the facts」

お笑い系プロパガンダ集団『歴史事実委員会 歴史事実委員会』が2007年のデマ広告『[THE FACTS]]*1』の失敗に懲りず第二弾『Yes, We remember the facts.』とやらをアメリカの地方紙に掲載したらしい。

2012.11.7 慰安婦問題で米紙に意見広告 強制連行裏付ける資料なし - MSN産経ニュース 慰安婦問題で米紙に意見広告 強制連行裏付ける資料なし - MSN産経ニュース


 作曲家のすぎやまこういち氏やジャーナリストの櫻井よしこ氏ら有識者でつくる「歴史事実委員会」は6日、米ニュージャージー州の地元紙「スター レッジャー」(約37万部)に4日付で慰安婦問題に関する意見広告を掲載したと発表した。日本軍による強制連行を裏付ける資料はなく、発見された公文書に よれば強制募集や誘拐を禁じていたと訴えている。
 民主党松原仁拉致問題担当相や自民党安倍晋三総裁ら国会議員38人も賛同者として名を連ねた*2
(以下略)


この意見広告は、日本政府が1992年からすでに20年間、国外に向けて謝罪した根拠として掲げてきた河野談話*3で認めた強制性すら否定するトンデモな内容になっている。日本の国際社会での信用を失わせる広告に、次期総理と有力視されている安倍晋三氏が名を連ねているのだから呆れ果てます。


こちらが問題の意見広告。
『Yes, We remember the facts.(我々は事実を憶えている)』

PDFファイル:http://sakura.a.la9.jp/japan/wp-content/uploads/2012/11/Committee-for-Historical-Facts-Proof.pdf


内容は、前回の2007年『THE FACTS』のFACT 1、FACT 2 をそのままコピペして、FACT 5 にあった「1945年、占領軍当局が日本政府に対し慰安所を設置するよう要請していた」との捏造を削除しFACT 3 に差し替えてあるだけです。

すでに『THE FACTS』のウソは、書籍なら吉見義明『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波書店 、2010年)、ウェブ上なら『「事実委員会」全面公告を批判する - 従軍慰安婦問題を論じる 「事実委員会」全面公告を批判する - 従軍慰安婦問題を論じる』において明らかにされていますが、改めてそのデタラメぶりを批判していきます。


Fact 1の対訳。

Yes, We remember the facts.
我々は事実を憶えている
Fact 1
事実 1
No historical document has ever been found by historians or research organizations that positively demonstrates that women were forced against their will into prostitution by the Japanese army. A search of the archives at the Japan Center for Asian Historical Records, which houses wartime orders from the government and military leaders, turned up nothing indicating that women were forcibly rounded up to work as ianfu, or comfort women."
日本軍によって女性たちが、自らの意思に反して売春を強制されたことをはっきりと示す歴史文書は、これまで歴史学者や調査機関によって1つも発見されていない。当時の政府や軍指導者からの戦時の命令を保管しているアジア歴史資料センターでのアーカイブ検索で、女性を強制的に拉致し慰安婦として働かされたことを示す文書は一つとしてないことが明らかになった。
On the contrary, many documents were found warning private brokers not to force women to work against their will
Army memorandum 2197, issued on March 4, 1938, explicitly prohibits recruiting methods that fraudulently employ the army's name or that can be classified as abduction, warning that those employing such methods have been punished.
逆に、女性をその意思に反して強制して働かせることのないよう民間業者に警告する文書が多数発見された。
1938年3月4日に出された陸軍通牒(Army memorandum 2197)では、軍の名を不正に利用した募集方法や誘拐に類する募集方法を明確に禁止しており、そのような募集方法を使った業者はこれまでと同じように厳罰にすると警告している。

(以下略)


女性たちが「自らの意思に反して売春を強制された」スマラン事件の「公文書」*4を無視して、「女性を強制的に拉致し慰安婦として働かされたことを」日本の裁判所が事実認定*5していることを無視して、拉致・誘拐され“慰安”婦になることを強要されたことを裏付ける被害女性や日本軍将兵の多くの手記や証言など口述資料*6を無視して等、多くの事実を隠蔽したうえで狭く「日本の公文書」だけに限定し、さらにその解釈を歪曲しているのがこの意見広告です。


具体的にどういうウソが書かれているか見ていくと、まず「陸軍通牒(Army memorandum 2197)」となっている箇所は正確には『軍慰安所従業婦等募集に関する件』(以下、副官通牒と記す)という資料です。吉見義明教授が発見し、軍の関与を示す資料として1992年に朝日新聞で大きく報道されたものです。

どう書かれているか、わかりやすいよう、カタカナと一部漢字をひらがな表記に変え全文を載せてみます。

1938年3月4日 軍慰安所従業婦等募集に関する件 
起元庁(課名)兵務課   陸支密
副官より北支方面軍および中支派遣軍参謀長宛通牒案

支那事変地における慰安所設置のため内地においてこれが(これの)従業婦等を募集するに当り ことさらに軍部諒解(りょうかい)などの名儀を利用し ために軍の威信を傷つけ かつ一般民の誤解を招くおそれあるもの あるいは従軍記者、慰問者などを介して不統制に募集し社会問題を惹起するおそれあるもの あるいは募集に任ずる者の人選適切を欠き ために募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取調を受けるものあるが少なからざるについては、 注意を要するものなど募集に任ずる人物の選定を周到適切にして 派遣軍において統制し これらの募集などに当っては 将来関係地方の憲兵および警察当局との連繋を密にし その実施に当たっては軍の威信保持上ならびに社会問題上遺漏なきよう配慮相成たく依命通牒す

昭和13年3月4日 陸支密第735号


この資料・副官通牒は、陸軍大臣杉山元の委任を受けて出された「依命通牒」であり、1938年3月4日に陸軍省から北支方面軍・中支派遣軍あてに出された指示文書です。
意見広告にある「民間業者に警告する文書」などではありません。


では陸軍省からの指示として何が書かれているのか。

  • 慰安婦の募集に際しては派遣軍が「統制」し業者の「選定を周到適切」にすること。
  • 募集実施に際しては関係地方の憲兵・警察との「連携を密に」すること。

の2つだけです。
どこにも意見広告にある、違法な業者を「厳罰にすると警告している」箇所や、「誘拐に類する募集方法を明確に禁止」している箇所などありません。


さらに意見広告では「軍の名を不正に利用した誘拐に類する募集…」と書かれている箇所がありますが原文の副官通牒では「ことさらに軍部諒解(りょうかい)などの名儀を利用し ために軍の威信を傷つけ…」です。業者が軍の名を「不正」に利用しているなどとは書いてありません。それもそのはずで、この業者はまぎれもなく軍から要請・指示され女性を集めていた業者だったからです。

この副官通牒をどう解釈すればいいかは、永井和教授が、1992年の政府調査で発見された資料と1996年に新たに発見された当時の警察資料を用い論文を公表しています。その中で次のように述べています。


一部抜粋

日本軍の慰安所政策について 日本軍の慰安所政策について


(※論文のなかの「副官通牒」とは「軍慰安所従業婦等募集に関する件」のこと。)


(前略)
 軍による陸軍慰安所の設置とその要請を受けた(業者による)慰安婦募集は警察にとってはにわかに信じがたいできごとであったことがよくわかる。上海総領事館警察か ら正式の通知を受け取っていた長崎県や、内務省から非公式の指示があった兵庫県大阪府は軍の要請による慰安婦募集活動であることを事前に知らされ、それ ゆえ内々にその活動に便宜をはかったのだが、何の連絡も受けていない関東や東北では、大内(貸座敷業者)の話はまったくの荒唐無稽事に聞こえたのである。
 軍が売春施設と類似の慰安所を開設し、そこで働く女性を募集しているとなどという話はそもそも公秩良俗に反し、まともに考えれば、とても信じられる ものではない。ましてそれを公然とふれまわるにいたっては、皇軍の名誉を著しく傷つけるにもほどがあると、そう群馬県警察は解した。大内は嘘を言って、 女性を騙そうとしたわけではない。真実を告げて募集活動をしたために、警察から「皇軍ノ威信ヲ失墜スルモ甚シキモノ」とみなされたのであった。
(中略)
 軍の慰安所政策(国家機関が性欲処理施設を設置・運営し、そこで働く女性を募集する)は、当時の社会通念からいちじるしくかけ離れたものであったうえ、そのことが府県警察のレベルにまで周知徹底されないうちに、業者のネットワークを伝って情報がひろがり、慰安婦の募集活動が公然と開始されたため、このような事態をまねいたのであった。この混乱を収拾して、軍の要請に応じて、慰安婦の調達に支障が生じないようにするとともに、地方の警察が懸念する「皇軍ノ威信ヲ失墜」させ、銃後の人心の動揺させかねない事態を防止するためにとられた措置が、警保局長通牒(内務省発警第5号)であり、それに関連して陸軍省から 出先軍司令部に出されたのが問題の副官通牒(陸支密第745号)だったのである。
(中略)
 副官通牒はこのような内務省警保局の方針を移牒された陸軍省が、 警察の憂慮を出先軍司令部に伝えると共に、警察が打ち出した募集業者の規制方針、すなわち慰安所と軍=国家の関係の隠蔽化方針を、慰安婦募集の責任者ともいうべき軍司令部に周知徹底させるため発出した指示文書であり、軍の依頼を受けた業者は必ず最寄りの警察・憲兵隊と連絡を密にとった上で募集活動を行えとするところに、この通牒の眼目があるのであり、それによって業者の活動を警察の規制下におこうとしたのである。
(以下略)


次のエントリではFact2の、女性を違法な方法で慰安婦にしようとした業者を警察が厳しく取り締まっていたというウソを批判する予定です。


参考文献
 

「慰安所」は強姦を防止した人道的な制度?

あるブログで従軍慰安婦についてこんな主張がされていた。

慰安所を設置していたのは戦場で兵士が現地の女性を強姦することがないようにするためのいわば人道的な制度です。


(Blog「真実が知りたい、真実を知って欲しい」http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-63.html

ここまで歴史オンチで全肯定的ではないにしても、軍慰安所を強姦防止に役に立ったと「必要悪」として容認したり、正当化する言説はこれまで何度も見たことがあるので、こうした見方の誤りを批判しておきたい。


そもそもなぜ日本軍「慰安所」は設置されたのか?

慰安所」はなぜ設置されたのか。その目的の1つに強姦防止があげられてきたのは周知のことである。よく知られている北支那方面軍参謀長岡部直三郎の1938年6月27日「通牒」ほか、当時の軍関係資料にもそれは示されている。これら公表された資料に見られるように、日本軍による強姦防止という目的は、女性の人権保護という普遍的な価値観にもとづくものではなく、反日感情の醸成を防ぎ、かつ兵士を性病から守るという、軍の作戦遂行のためであった。


『黄土の村の性暴力−大娘たちの戦争は終わらない』創土社 、2004年、p241、
第二部:論文「山西省の日本軍「慰安所」と盂県の性暴力」石田米子・内田知行より


引用で言及されている1938年6月27日の北支那方面軍参謀長岡部直三郎の「通牒」とは有名な文書で「軍人軍隊の対住民行為に関する注意の件」という通牒のことである。そのなかでは指揮下の数十万の各部隊に慰安所設置を次のように指示している。

「……諸情報によるに斯の如き強烈なる反日意識を激成せしめし一原因は各所に於ける日本軍人の強姦事件が全般に伝播し実に想像外の深刻なる反日感情を醸成せるに在りと謂う……古来軍隊の略奪強姦行為に対する反抗熾烈なるが特に強姦に対しては各地の住民一斉に立ち死を以て報復するを常としあり……従て各地に頻発する強姦は単なる刑法上の害悪に留らず治安を害し軍全般の作戦行動を阻害し累を国家に及ぼす……右の如く軍人個人の行為を厳重取締ると共に一面成るべく速に性的慰安の設備を整え設備の無きため不本意乍ら禁を侵す者無からしむを緊要とす」


『政府調査「従軍慰安婦」関係文書資料』第二巻
歩兵第9旅団陣中日誌「軍人軍隊の対住民行為に関する注意の件」
PDFページ番号23〜26/349
http://www.awf.or.jp/pdf/0051_2.pdf


もう少し補足しておくと、日本軍の「慰安所」が一気に大量設置されるようになるのは1937年末頃からである。主な理由のひとつは上記で指摘されてるように、1937年7月に日中戦争が開始され皇軍将兵が大量に動員されたことで強姦が多発し軍の占領政策に支障をきたすと判断したためである。


慰安所」設置は強姦防止に効果があったのか?


1939年に中国から帰国した精神科医で陸軍の軍医だった早尾乕雄中尉は軍医部と軍法務部から依頼され『戦場に於ける特殊現象と其対策』(1939年6月)という報告論文をまとめ提出している。
そのなかの「私欲と強姦」という項目には次のように書かれ、慰安所設置が強姦防止に役に立っていなかったことが示されている。

『戦場に於ける特殊現象と其対策』1939年6月

「出征者に対して性欲を長く抑制せしめることは、自然に支那婦人に対して暴行することとなろうと、兵站は気をきかせ中支にも早速に慰安所を開設した。その主要なる目的は性の満足により将兵の気分を和らげ、皇軍の威厳を傷つける強姦を防ぐのにあった。……それでも地方的には強姦の数は相当にあり、亦(また)前線にも是(これ)を多く見る。……内地では到底許されぬことが、敵の女だから自由になるという考えが非常に働いているために、支那娘を見たら憑(つ)かれたようにひきつけられて行く。従って検挙された者こそ不幸なんで、陰にはどれ程あるか解らぬと思う。……部隊長は兵の元気をつくるに却(かえ)って必要とし、見て知らぬ振りに過ごしたのさえあった位である。……日本の軍人は何故に此の様に性欲の上に理性が保てないかと、私は大陸上陸と共に、直ちに痛嘆し、戦場生活1ヶ年を通じて終始痛感した。然(しか)し、軍当局は敢(あえ)て是を不思議とせず、更に此の方面に対する訓戒は耳にしたことがない。……軍当局は軍人の性欲は抑える事は不可能だとして、支那婦人を強姦せぬ様にと慰安所を設けた。然し、強姦は甚だ旺(さか)んに行われて、支那良民は日本軍人を見れば必ず是を怖れた。 将校は率先して慰安所へ行き、兵にも是をすすめ、慰安所は公用と定められた。心ある兵は慰安所の内容を知って、軍当局を冷笑して居った位である。然るに、慰安所へ行けぬ位の兵は気違いだと罵(ののし)った将校もあった。」


吉見義明『従軍慰安婦岩波新書、1995年、p45.46より


さらに歴史学者の吉見教授は慰安婦制度の問題点をこう指摘している。

慰安婦制度とは、特定の女性を犠牲にするという性暴力公認のシステムであり、女性の人権をふみにじるものである。一方で性暴力を公認しておきながら、他方で強姦を防止するということは不可能であり、当然ながら、強姦事件を防止する本質的解決に結びつくはずもなかった。


吉見義明『従軍慰安婦岩波新書、1995年、p44より

そして性暴力被害者への聞き取り調査のため現地を何度も訪れてまとめた、次の報告書の指摘も鋭いだろう。

慰安所」と強姦とは単に、「兵士の性欲処理」のために相互に補完し合ったというものではない。軍紀によっても抑止できない強姦があるから「慰安所」ができるのであり、「慰安所」があることによってさまざまなかたちの強姦が蔓延するという関係にあった、と見るべきであろう。


『黄土の村の性暴力−大娘たちの戦争は終わらない』創土社 、2004年、p263、

第二部:論文「山西省の日本軍「慰安所」と盂県の性暴力」石田米子・内田知行より


参考文献


 

週刊ポストが捏造、NHKが「特攻隊員の遺書1000通新発見」と放送と嘘を載せる

週刊ポストの与太記事を真に受けた低リテラシー層によって「NHKクローズアップ現代が毎度の捏造!」と捏造が拡散されている(呆


週刊ポスト2012年10月12日号
NHK「特攻隊員の遺書1000通新発見」に遺族が大困惑
2012.10.05

http://www.news-postseven.com/archives/20121005_146878.html

<1000人を超える隊員の遺書が回収され、そのままになっていたことがわかりました。これらの遺書は、特攻隊員の遺族に対する調査で集められ、海上自衛隊の倉庫にしまい込まれていたのです>。
 “歴史的新事実”を印象づけるナレーションとともに、番組は始まった。NHKが8月28日に放送した『クローズアップ現代』は、海軍の特攻作戦に参加した隊員の遺書1000通あまりが、広島県江田島市にある海上自衛隊第1術科学校から「突然出てきた」として、遺書を回収した経緯や、それが「ひっそり と眠っていた」理由に迫る内容だった。
 ところが、この番組を観た多くの関係者は、その内容に困惑したという。ある遺族関係者は語る。
江田島に遺書があることは知っていましたから、最近また新たに遺書が1000通見つかったのかと思いましたよ……」
 おや、新たに見つかったわけではないのか? 資料が所蔵されている第1術科学校の広報係に訊くと、
「以前から遺書の存在は把握しており、公開もしていました。どうしてああいう放送になったかはわかりません……」
 と、こちらも戸惑っていた。第1術科学校では学校内を見学するツアーが毎日開催されており、参加すれば、海軍関係の資料が展示されている教育参考館と呼ばれる建物に入り、収蔵されている遺書を誰でも見ることができる。
 海自OBの案内のもと、実際に教育参考館を訪れると、ガラスケースの中に数十通を超える特攻隊の遺書があった。教育参考館の元職員はこういう。
「展示は以前から行なっており、2000通ほどの遺書があることも把握していました。遺族の問い合わせがあれば展示していないものでも公開していた。特攻隊の遺書は国へ登録しているし、資料はすでに調べ尽くしたので、新たに出てくることなどないはずです」
 だが番組では、特攻隊の遺書が「1000通あまりも回収されていたことが、今回初めてわかった」と、あたかもその存在が最近まで知られていなかったかのような内容となっている。
 NHKはこれについて、「海上自衛隊の説明によれば、倉庫の中の遺書と遺族調査資料のほとんどは、これまでしまわれたままになっていて、現在、整理が始まった段階だということでした」と説明しており、見解の違いが生じている。

信条の「NHK叩き」に合致するからと無批判に信じちゃう人達…

NHK「特攻隊員の遺書1000通新発見」に遺族が大困惑(NEWSポストセブン) - livedoor ニュース NHK「特攻隊員の遺書1000通新発見」に遺族が大困惑(NEWSポストセブン) - livedoor ニュース

NEWSポストセブン|NHK「特攻隊員の遺書1000通新発見」に遺族が大困惑 NEWSポストセブン|NHK「特攻隊員の遺書1000通新発見」に遺族が大困惑

痛ニュー速報!: 海自「以前から公開してるのに」…NHKの「特攻隊員の遺書1000通、今回初めてわかった」報道に遺族が困惑 痛ニュー速報!: 海自「以前から公開してるのに」…NHKの「特攻隊員の遺書1000通、今回初めてわかった」報道に遺族が困惑

NHK 「特攻隊員の遺書1000通、今回初めてわかった」 → 海上自衛隊 「以前から公開してるだろ」|ねたAtoZ NHK 「特攻隊員の遺書1000通、今回初めてわかった」 → 海上自衛隊 「以前から公開してるだろ」|ねたAtoZ

2ちゃん的韓国ニュース : NHK 「特攻隊員の遺書1000通、今回初めてわかった」 → 海上自衛隊 「以前から公開してるだろ」 2ちゃん的韓国ニュース : NHK 「特攻隊員の遺書1000通、今回初めてわかった」 → 海上自衛隊 「以前から公開してるだろ」

NHKの誤報に遺族大困惑か…NHK「特攻隊員の遺書1000通新発見!」→海自「遺書の存在は把握しており公開もしていました」 (´・ω・`)ショボーン速報 NHKの誤報に遺族大困惑か…NHK「特攻隊員の遺書1000通新発見!」→海自「遺書の存在は把握しており公開もしていました」 (´・ω・`)ショボーン速報


こうしたインチキに引っかかる前に、せめてNHKの番組HPぐらいは確認してもらいたいものだ。


2012年8月28日(火)放送
『なぜ遺書は集められたのか 〜特攻 謎の遺族調査〜』
番組HPの説明

なぜ遺書は集められたのか - NHK クローズアップ現代 なぜ遺書は集められたのか - NHK クローズアップ現代


太平洋戦争中、旧海軍の特攻作戦で亡くなった隊員の遺族を対象に、戦後、徹底した追跡調査が全国で行なわれ、1000通を超える遺書が回収されていたことが判った今回、初めて発見された膨大な調査票には、隊員ごとに、遺族の家族構成や戦後の暮らし向きが事細かに書き込まれ、遺書や遺品の実物が添付されていた。戦後67年が経ち、遺族の殆どは、調査を受けた経緯を知らず、何のための調査だったのか、そして、なぜかけがえのない遺書が回収されたのか、知りたいと願い続けている。取材を進めると、水面下で調査を行っていたある組織が浮かび上がってきた。その知られざる目的とは何か。戦後秘史、謎の特攻遺族調査 の全貌に迫る。


放送した番組は上記NHKのリンクで15分程に編集された動画が観れるし、リンクをたどると放送内容をテキスト化したものを読むことができる。

http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3237_all.html


放送を確認しても、どこにも週刊ポストの記事にある鍵括弧「突然出てきた」→「遺書1000通新発見」など出てこないし、そもそもそういった主旨の番組ではない。


番組では『NHK「特攻隊員の遺書1000通新発見」』と放送したわけではなく、放送内容は、広島県江田島市海上自衛隊第一術科学校の倉庫に「1000通を超える遺書が回収されていたことが判った」のでNHKで調査したところ、遺書とともに「隊員ごとに、遺族の家族構成や戦後の暮らし向きが事細かに書き込まれ」た「膨大な調査票」が「今回、初めて発見された」。そこで番組では「誰が、何のために遺書を集めたのか」その謎に迫るというものである(←ここが番組でもっともちからを入れている部分)。


また番組では「調査の対象となった遺族を」探し出し「取材することに」成功している。そしてその遺族は「出撃の前、家族に宛てた手紙」を初めて知ることになる。遺族にとって新発見である。


さらに週刊ポストの記事では『第1術科学校の広報係に訊くと、「以前から遺書の存在は把握しており、公開もしていました。』となっているが、1000通近くの遺書や遺品のうち、ガラスケースのなかに展示されていたものが「数十通」ほどで、残りは倉庫にしまってある状態、しかも遺族から問い合わせがなければ公開していなかったという。こんな状態では特攻隊員の遺族のなかに海上自衛隊に遺書や遺品があることさえ知らない人が結構いるのではないか。

実際にblog『土佐高知の雑記帳』の大西正祐さんはNHKの番組がきっかけで海上自衛隊に問い合わせ、宮川正一飛曹と野並哲一飛曹の2人の遺品が番組で紹介された海上自衛隊第一術科学校の倉庫に眠っていたことを、今回、新発見している。


やっぱあった写真と遺品 -土佐高知の雑記帳
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2757.html

宮川正一飛曹と野並哲一飛曹の遺品があった。
(中略)
やっぱりあったのだ。
近江氏は野並家、宮川家を訪れ、2人の遺品を持ち帰っていた。
そして、それはそれから70年近く、遺族の目にもふれず眠りつづけていたのだ。
みたい。読みたい。

どうやったら手に入れられるのかきいた。
「遺族から申し込みがあれば複製をお渡しするか、現品を返却することが出来る」
現品返却は時間がかかりそうなことを言っていたので、複製での申込書を送ってもらうことにして、宮川正さんの遺族のアドレスを教えた。

そのことを甥子さんに伝えると驚いていた。
海上自衛隊から手紙が来たら早速、手続きしてみるとのこと。
「もしも無事に手に戻ったらみせてください」
「いいですよ」

どんなことが書かれているのだろう?
どんな筆跡をしているのだろう?

だが、向こうはあくまでも「遺族からの申し出があれば」というスタンスと「テレビで放送される前からも遺族にはみせていた」というのに事務的な感じがした。

宮川さんや野並さんなどれっきとした遺族はいる。
少し気を利かせば簡単に遺族を見つけ出し、保管していることを伝えることが出来るだろう。
そうすれば、遺族は隊員たちの肉声、ぬくもりにふれることが出来るはずだ。
6月に亡くなった兄の晋さんも、弟からの手紙を読めたはずだ。
そんな努力すらせず「申し出があれば」というのはいかがなものか。

ちょっとしたやりとりのなかで、旧海軍の冷酷な意志を垣間見た気がした。