赤塚不二夫先生の「これでいいのだ」の由来は中国語の「メイファーズ」だったのだ。

知らなかったのでメモしておくのだ。8月13日付け「しんぶん赤旗」9面に載っていたマンガ評論家・石子順赤塚不二夫さんを送る」という追悼記事より

(前略)
敗戦で生活が激変 生死の境をくぐる

 赤塚不二夫は、チャップリンキートン映画のドタバタ喜劇タッチを子ども漫画にとり入れた。絶妙愉快なキャラクターを次々と生み出し動かしてギャグ漫画という世界を作りあげた。おそ松くん、天才バカボン、ア太郎に赤旗日曜版のハタ坊など数知れない人気者がモーレツに笑わせて元気を広げた。

 そのギャグ、風刺、ナンセンス、ドタバタの漫画は赤塚不二夫が引き揚げを体験した漫画家であるということと無関係ではない。赤塚不二夫は潘陽で八月十五日を迎えた。九歳だった。敗戦で生活が逆転、父はシベリアに捕らわれ、母子五人生死の境をくぐり抜けて一九四六年に帰国した。母の実家にたどり着いた直後、一番下の妹がフーッとひと息ついて死んだ。胸がえぐられるようだったと語った赤塚は涙ぐんでいた。

 二〇〇二年に出た引き揚げ漫画集「中国からの引き揚げ 少年たちの記憶」(中国引き揚げ漫画家の会編)赤塚不二夫のカラスの大群におおわれた自画像が入っている。大陸の心象風景だが、黒いカラスに戦争の恐ろしさ、生命の危険そのものが表されている。

 一九九五年、戦後五十年を機に引き揚げの漫画家、赤塚不二夫ちばてつや森田拳次古谷三敏高井研一郎、山内ジョージ、横山孝雄、北見けんいち上田トシコたちが集まって引き揚げと自分を初めて語りあった。赤塚が引き揚げっ子に漫画家が多いのはなぜかと言った。敗戦後に深刻な事態をあびるほど目撃、体験して生き抜いたからではないかという話しになった。

おおらかさ明るさ「これでいいのだ」

 赤塚不二夫のキャッチフレーズ「これでいいのだ」の由来もわかった。中国では「メイファーズ(没法子)」とよくいう。方法がない、お手上げだ、ということから転じてしょうがないといったあきらめにもなる。赤塚不二夫は帰国後の生活でいじめや貧乏にぶつかり、漫画家デビューにも苦労した。その中で中国でよくいった言葉を思い出し自分の言葉に作りかえた。おおらかに明るく人間も世の中も「これでいいのだ」と生きることを肯定したのだ。

(以下略)

画像はhttp://www.maizuru-bunkajigyoudan.or.jp/hikiage_homepage/gallery/g_right.html#より拝借。(リンク先の左側、似顔絵が描かれたファイル画像をクリックすると他のイラストも見れます。)


赤塚不二夫先生のご冥福をお祈りいたします。


TB先:http://d.hatena.ne.jp/tadanorih/20080811/1218388774:TITLE