日本では戦前から「自存自衛」論に批判がありました。

靖国神社や自称保守・右派と呼ばれる人達の中には日本のやった戦争を正当化するために「自存自衛」という言葉をやたらと使いたがる人達がいます。この言葉を使えば「日本のやった戦争は正しい聖戦でした」という根拠付けができると思い込んでいるようですが、とんでもない錯覚です。なぜなら、日本が言ってきた「自存自衛」とは、元寇以来、中国から侵略されたこともないのに「満蒙は我国の生命線」だからとか、大東亜共栄圏という地域を勝手に決めて「自存自衛をまっとうし、大東亜の新秩序を建設するため対米英蘭戦争を決意し(帝国国策遂行要領より)」とかいう一方的な理屈だからです。こんな理屈がまかり通るなら、たとえば北朝鮮が日本の新潟をとつぜん侵略してきても「いや新潟は北朝鮮にとっては生命線だから自存自衛のためにやむを得ず占領しました。」なんてこともまかり通ってしまい、どんな侵略戦争でも「自存自衛」のための戦争ということになってしまいます。

で、今回は戦前、戦中に日本の「自存自衛」論を批判した人達のことを紹介しようと思います。たとえば「wikipedia:反軍演説」で有名なwikipedia:斎藤隆夫は次のように書いています。

「日本の大陸発展を以(もっ)て帝国生存に絶対必要なる条件なりと言はんも、自国の生存の為には他国を侵略することは可なりとする理屈は立たない。若(も)し之(これ)を正義とするならば切取(きりとり)強盗は悉(ことごと)く正義である。」
(斉藤隆夫先生顕彰会刊「斎藤隆夫政治論集」233〜234頁)

「此(こ)の戦争の責任を塗抹(とまつ)せんが為に次から次と種々の理屈を考え出し、曰(いわ)く肇国(ちょうこく)の精神である。*1八紘為宇(はっこういう)の理想である。神武東征の継続である。自存自衛の為である。東洋民族の解放である。共栄圏の確立である。道義戦である。聖戦である。其(そ)の他ありとあらゆる理由を製造して国民を欺瞞(ぎまん)し、国民を駆って戦争の犠牲に供する。」(同前 236頁)


次に、今日では中国側が鉄道を爆破したという1931年の柳条湖事件関東軍の謀略であったことははっきりしていますが、それがわからない当時、中国兵の鉄道爆破を前提にしても、「自衛」論は成り立たないという批判がありました。当時、東京帝国大学教授で戦後、最高裁判所長官を務めたwikipedia:横田喜三郎は1931年10月5日付けの「帝国大学新聞」で次のように書いています。

「軍部は最初から全く自衛のため止むを得ない行為であると主張した。しかし、厳正に公平に見て果して軍部一切の行動が自衛権として説明され得るであろうか。鉄道の爆破が事実であるとして、破壊しつつある軍隊に反撃を加えることは確かに自衛権の行使であろう。あるいは、その軍隊を追撃して*2北大営を占領したことも自衛権だといえばいえぬこともなかろう。しかし、北大営に対する攻撃とほとんど同時に秦天城内に対して攻撃を開始したことまで、自衛にために止むを得なかったといい得るであろうか。まして、鉄道の爆破に基く衝突(十八日午後十時半)から、僅(わず)かに六時間内外のうちに、四百キロも北方の*3寛城子を占領し(十九日午前四時四十分)、二百キロも南方の*4営口を占領した(同五時)ことまで果たして自衛のために止むを得ない行為であったといい得るであろうか。」
(日本の戦争はなんだったか 吉岡吉典 20頁)


だいたい



出典「新詳日本史図説」 浜島書店 2000年:http://www.meigaku.ac.jp/kokusai/png/22.html


インドやオーストラリアにまで攻撃かけといて(どんだけぇ〜)

これで「自存自衛の戦争でした」ってありえねーだろ おかしーだろ

*1:八紘一宇ともいう。

*2:北大営=軍閥・張学良軍の宿舎。

*3:寛城子=長春北部あたり。

*4:営口(えいこう)=中国遼寧省省轄市