補足:スマラン事件(白馬事件)の重要なポイント

公文書からみるスマラン事件(白馬事件)、他の解説。 - Transnational History 公文書からみるスマラン事件(白馬事件)、他の解説。 - Transnational History


のブクマでid:pokute8さんから以下のようなブコメがありました。
(ちなみにリンク先は、あの「国民が知らない反日の実態」です!!!)

pokute8
http://bit.ly/xsj4tS 白馬事件については双方のコンセンサスが得られてるものだと思ったけど、軍命で閉鎖されたものを「国家・軍の命令で設営されたとしか考えられない」方向に今更持っていくのは無理筋かと。 2012/02/26


お答えします。


スマラン事件は1944年に起きた事件ですが、軍専用の「慰安所」が大量に設置されるようになるのは、大規模な兵力が動員される日中戦争(1937年〜)の時期からになります。この時期にはすでに業者が勝手に押しかけて行って軍慰安所をつくれるようなものではありませんでした。
日本近現代史専攻の永井和教授は論文のなかで「軍慰安所の設置が軍の指示、命令によるものであったことは、今までの慰安所研究により明らかにされており、今では史実として広く受け入れられている。」と述べています。

陸軍慰安所の創設:永井和教授 論文『日本軍の慰安所政策について』
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/guniansyo.html#SEC4

また、軍隊というのは国家機関であり、当時、最大の国家組織です。



さらに、「軍命で閉鎖された」こと、また「自由意志の者だけを雇うこと」を注意を受けていたということは、軍司令部が売春のための強制徴集は犯罪であると認識していたということを意味しますが、
ここで重要なポイントは

 売春を強制してはならないという指示がヨーロッパ系の女性に対しては出されたが、日本人を除くアジア人に対しては出されなかったという事実である。売春強制が犯罪であることを知りながら、それを防止する対象はヨーロッパ系女性に限られていた。これは戦後に国際的な問題になるのをおそれたからであった。したがって、日本人以外のアジア人女性についてこのような配慮ははらわれなかった。
 そして、アジア人女性の場合はもちろん、たとえヨーロッパ系女性であっても、事件が明らかになった後に関係者が処罰されることはなかったのである。ここに、日本軍の慰安婦政策の基本姿勢がはっきりとあらわれている。


吉見義明『従軍慰安婦』 スマラン事件が示すものは何か p191

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ということになります。


ちなみに違法性については以下が該当します。

  • 日本が準用すると回答していた「俘虜の待遇に関する条約」違反。
  • 当時の日本の刑法第33章「略取及ヒ誘拐ノ罪」に当たる犯罪。

http://roppou.aichi-u.ac.jp/text/keihoOLD.txt

第224条 未成年者ヲ略取又ハ誘拐シタル者ハ三月以上五年以下ノ懲役ニ処ス
第225条 営利、猥褻又ハ結婚ノ目的ヲ以テ人ヲ略取又ハ誘拐シタル者ハ一年以上十年以下ノ懲役ニ処ス

  • もちろん陸軍刑法でも強姦は犯罪でした。