慰安婦の被害事実(証言を含む)が認定された8件の裁判
「従軍慰安婦」裁判は、1991年から2001年まで日本の裁判所に10件の提訴がされた。このうち地裁、高裁の判決において、日本軍の関与・強制性等の加害事実や、元慰安婦の被害事実(慰安婦になった経緯、慰安所での強要の状態など)が認定されたのは以下の8件の裁判。
■軍関与・強制性・被害事実の認定の有無
裁判名 提訴年 地裁 高裁 最高裁 アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟 1991 ○ ○ 棄却 釜山「従軍慰安婦」・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟 1992 ○ ○ 棄却 在日元「従軍慰安婦」謝罪・補償請求訴訟 1993 ○ ○ 棄却 オランダ人元捕虜・民間抑留者損害賠償訴訟 1994 ○ ○注1 棄却 中国人「慰安婦」損害賠償請求訴訟(第一次) 1995 × ○ 棄却 中国人「慰安婦」損害賠償請求訴訟(第二次) 1996 ○ ○ 棄却 中国山西省性暴力被害者損害賠償等請求訴訟 1998 ○ ○ 棄却 海南島戦時性暴力被害事件訴訟 2001 ○ ○ 棄却 注1、高裁では特に言及はないが地裁の事実認定を否定していない。
いずれの裁判でも賠償請求は認められず最高裁で棄却、不受理が確定しているが、これらは時効や国家無答責など法律論からの理由であって、「事実認定」の部分は覆されていない。
参考資料
・ご存じですか?「慰安婦」裁判の判決内容 −その1
(pdfファイル)http://www.news-pj.net/siryou/ianfu/pdf/courtcases_bro.pdf
・wamカタログ6『ある日、日本軍がやってきた - 中国・戦場での強かんと慰安所』2008年発行
・海南島訴訟 Archive:http://www.suopei.jp/saiban-trend/ianfu/kainato/
個々の裁判は大筋で事実を認めたものから詳細な認定まで幅があるが、ここでは一人ひとりの被害事実が詳しく認定された中国のケースを書き留めておく。
■中国人「慰安婦」損害賠償請求訴訟(第一次)
期間:1995年8月〜2007年4月
東京高裁の判決で山西省の4名の女性の被害について事実認定が行われた。
判決では「日本軍構成員らによって、駐屯地近くに住む中国人女性(少女も含む)を強制的に拉致・連行して強姦し、監禁状態にして連日強姦を繰り返す行為、いわゆる慰安婦状態にする事件があった。」(東京高裁 2004年12月15日)と認定した。
■中国人「慰安婦」損害賠償請求訴訟(第二次)
期間:1996年2月〜2007年4月
地裁と高裁の判決で被害の事実認定が行われ、最高裁でもこの事実認定を認めた。さらに、現在までPTSDの被害を受けていることも認定された。
「訴えていたのは、山西省出身の郭喜翠さん(80)と故・侯巧蓮さんの遺族。一、二審とも軍が15歳の郭さんと13歳の侯さんを連行、監禁、強姦(ごうかん)した事実を認定したが、請求を棄却した。最高裁も、この事実認定自体は「適法に確定された」と認めた。」
(2007年04月27日付 朝日新聞「戦後補償裁判、4訴訟も請求権否定 最高裁で敗訴」http://www.asahi.com/national/update/0427/TKY200704270348.htmlより)
■中国山西省性暴力被害者損害賠償等請求訴訟
期間:1998年10月〜2005年11月
地裁と高裁の判決で被害の事実認定が行われた。地裁では山西省の10名の女性の被害事実について、1940年末から1944年初めにかけての性暴力被害の状況をほぼ原告の主張通りに認定し、東京高裁もこの認定を踏襲した。さらに、地裁と高裁で立法的・行政的な解決が望まれる旨の付言がなされた。
■海南島戦時性暴力被害事件訴訟
期間:2001年7月〜2010年3月
地裁と高裁の判決で被害の事実認定が行われた。さらに、PTSDはもとより「破局的体験後の持続的人格変化」というより重い被害事実の認定も行われた。
海南島訴訟 東京高裁判決要旨
http://www.suopei.jp/saiban_trend/ianfu/post_313.html
被害女性は少数民族の黎(リー)族、苗(ミャオ)族の8名(うち2名は係争中に死去)の女性たちで、当時14歳〜19歳の未成年だった。
判決のなかで「以下の事実が認められ,この認定を覆すに足りる証拠はない。」と認定されている被害事実を以下、一部抜粋しておく。
被害者は黄有良さん、当時14歳。
……控訴人黄有良は,架馬村に設営された 日本軍の駐屯地に無理矢理連れて行かれ,駐屯地の中にある日本軍の慰安所に監禁され,毎日性行為を強要されたほか,掃除洗濯などの労働も強いられた。 2,3か月後,控訴人黄有良は,藤橋に移送され,慰安所に入れられた。この慰安所は,部屋には鍵をかけられ,日本軍人が見張っていて逃げ出すことは不可能 であり,控訴人黄有良は,ここで1日2回わずかな食事を与えられながら,ほぼ毎日日本軍人に強姦された。控訴人黄有良は,藤橋の慰安所に1年ほど監禁された。……
被害者は陳亜扁さん、当時14歳。
……控訴人陳亜扁は,14歳の時,村に侵攻して来た 日本軍人に駐屯地に連行されて監禁された。……控訴人陳亜扁は,昼は掃除や炊事の仕事を させられ,夜になると日本軍人に強姦される生活が2,3か月続いた後,藤橋にある慰安所に移送され,その後,元の駐屯地へ戻されたが,その間も,暴力を娠 るわれ,強姦された。控訴人陳亜扁は,日本の敗戦直前に日本軍人の隙をついて逃げ,山の中に隠れたため,日本の敗戦を知らずに,約1か月間山中で生活し, その後村へ戻った……
被害者は譚亜洞さん、当時16,7歳。
……控訴人譚亜洞が監禁されていた部屋は,茅葺きの掘っ建て小屋に間仕切りをしただけの粗末なものであった。 控訴人譚亜洞は,何度か逃走しようとしたが,監視していた日本軍人にすぐに捕まり,そのたびに棍棒で殴られる等の暴行を受けた。控訴人譚亜洞は,各地の駐 屯地の慰安所を移動させられたが,そのうち大村の慰安所に継続して監禁されるようになり,その間日本軍人に強姦された。……
判決ではこのような直接的な暴力の被害だけでなく、日本の軍隊が撤退した後も「慰安婦であったとして周囲の人々から誹訪中傷され,蔑視される」など社会的差別に長年苦しんだこと、さらに、「被害の状況を繰り返し夢に見たり思い出したりして,動悸,恐怖等を覚え」るなどの苦しみが今も持続しているとして、「PTSD」はもとより「破局的体験後の持続的人格変化」というより重い被害事実の認定も行われた。
(1)本件被害女性らに生じている精神的障害
……本件被害女性らのうち,控訴人訒玉民はPTSDに罹患し,控訴人黄有良,同陳亜扁,同譚亜洞,同林亜金及び同陳金玉はいずれも「破局的体験後の持続的人格変化」に罹患していることが認められ,亡譚玉蓮及び亡黄玉鳳はいずれもPTSDに罹患していたものと推認することができる。……(3)「破局的体験後の持続的人格変化」について
……アメリカ精神医学会の改定診断基準であるDSM-IVによって立つ心的外傷の研究者ジュディス・L・ハーマンは,長期反復性外傷後の 人格の深刻なゆがみを「複雑性PTSD」という新しい名称で捉えているが,それは「破局的体験後の持続的人格変化」と関連する障害である。……「破局的体験後の持続的人格変化」は,持続的であり……対人的,社会的及び職業的な機能の障害に至る……
■関連リンク
司法が認定した「慰安婦」制度の実態
http://d.hatena.ne.jp/asobitarian/20120913/1347530601
(関釜元慰安婦訴訟の山口地裁での判決文)
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