「英霊」は大和言葉ではなかった

4480063579靖国史観―幕末維新という深淵 (ちくま新書 652)
小島 毅

筑摩書房 2007-04
売り上げランキング : 29248

Amazonで詳しく見る
いやぁ、今まで知りませんでした。以下にメモしときます。

p92.93
「英霊」という語の使用は日露戦争後に始まるという。それまでは「忠魂」「忠霊」が用いられていたそうだ。(村上重良「慰霊と忠魂 靖国の思想」)

靖国神社付設の展示館である遊就館によれば、この語(英霊)を靖国神社が用いるのは藤田東湖(ふじた とうこ)という人物の詩を典拠としてのことだという。(中略)その彼(藤田東湖)が、中国宋代の忠臣文天祥(ぶんてんしょう)の詩に感ずるところがあって詠んだ詩のなかに、この「英霊」という語が出てくるのだ。

今では和歌・俳句等々の区別を無視してすべて「詩」と呼んでいるが、東湖の生きていた時代、すなわち江戸時代末期にいたるまで「詩」とは「歌」に対して言われる別の概念であった。「歌」とはすなわち和歌である。これに対して「詩」とは漢詩のことであった。つまり日本語ではなく表記上は中国語で書かれた韻文のことである。

p94
靖国神社の祭祀が日本の古い伝統であるならば、その神様になんで外国語に由来する名称を与えているのだろう。日本古来の大和魂を顕彰するのであれば「歌」のほうからそれにふさわしい語を持ってくればよさそうなものである。(中略)「英霊」を祭ってその語の本場である中国から批判されているとは、なんとも皮肉な話しである。


靖国神社の前身は招魂社ですが、その招魂もまた中国古典に由来しているそうです。

p99.100
「官軍」と「賊軍」の区別。これが靖国の原点である。文久二年の招魂祭では、その対象は世間一般の常識では「賊」とよばれていた。官軍とは幕府側の者たちであり、京の都においては会津藩であり、新撰組だった。禁門の変池田屋騒動も、政府・官憲によるテロリスト掃威戦であった。大義名分は幕府側にあった。だからこそ、福羽美静は非業の死を遂げた同志たちを鎮魂すべく、招魂儀礼を実施したのである。ちなみに招魂も、その語で表される行為自体は古来日本に存在したかもしれないが、それを表現している単語はまたしても中国古典に由来している。